第10章 オールド・デリー


そこからデリー駅まで歩いて10分ほどだった。


白とえんじ色を基調とした荘厳な駅舎。
新旧、文化、入り混じったというか、
都会的でもあり郷愁的でもある独特の雰囲気。
インドでは、世界遺産にも登録されたムンバイの駅が有名だが
デリー駅だって見ごたえという点ではたいしたものだ。


駅には旅を実感させるシーンがある。
マシンガンを携えた迷彩服の男たち。
大きな荷物を抱えた家族連れ。
そして、外国語のアナウンス。


12年前、初めての海外で、
クアラルンプール国際空港で目覚まし代わりに聞いたあの英語アナウンス。
あれが今でも旅の象徴として脳裏に刻まれている。


同様にインドの鉄道駅のアナウンスもテンションがあがる。
今いる町から次の町への旅立ちの場所。
大きな電光掲示版に目的地の名前や路線の名前が並び
「ジャジャーン」という電子音のあとに
風呂で聞いているような妙にリヴァーブがかったアナウンスが流れる。
まさにジャジャーン!という
ドッキリ大成功!みたいな緊張感のない音。
『ジャジャーン!!・・・○X○X○△XXXX・・・・。』
なにか重大な真実を発表するかのようで
実際は「何番線に列車が到着した」みたいなことをアナウンスしているのだろう。
残響がひどすぎて、ほぼ内容は聞き取れない。



列車の出発時間まではゆうにあと半日。
いったんは駅に隣接されているファーストフード店で
コーラを飲みながら涼むが
さすがに所在ない。


少しオールドデリーの街並みをぶらつくことにした。


オールドデリーの空を
無数に張り巡らされた黒い電線が横切る。
その上を行きかう親子猿。
鳴りやまぬクラクション。
ふいにやってくる横殴りの雨。
マックでノンベジバーガーセットという名の
カレー味のコロッケバーガーセットを食し、
甘いものがダメなF田氏のために
アイスティーを頼んだのに
なぜかガムシロップだくだくの、しかもレモンティーが出てきて申し訳ない気分になり
結局、駅のファーストフード店に戻り
道中、酒屋で買った缶ビールを持ち込み
飲みながら時間を潰していると
警備員にめっちゃ怒られるという
三十路も過ぎてなにやってんだと思う時間の過ごし方をしていたが
ひとつ大きな発見があった。


日本で買ったプッシュ式蚊取りがすごい。
ワンプッシュすれば数時間は蚊を寄せ付けないという
最近、市場に出だした便利なやつだ。
このファーストフード店、
オープンエアーだからかハエがすごい。
絶えず席の周りを飛び交っている。
だが、そのハエたちが
我々の席を飛び回ってしばらくすると
ふらふらとしだし
そのうち地面にパタッと落ちる。
安宿での蚊取り線香代わりに持ってきたこのプッシュ式蚊取り。
凄まじい威力だ。
これ、本当に人体に悪影響はないのか?!



高い高いインドの太陽が
ようやく山の端に落ち
列車の出発時刻が迫ってきた。


電光掲示版と例のアナウンスで
我々の乗る列車が入ってくるホームが決定する。
ほぼフリーパスのセキュリティチェックを抜け
すかさず我々はそのホームへ移動する。
リュックを背負っての散歩は意外と疲れた。
出発までの待ち時間ですら
車内の寝台に寝転がって待ちたい。



ほのかな月明かり。
ホームは裸電球で淡く照らされている。
光が被るか被らないかの微妙な感覚でコンクリートの地面が照らされている。


我々の列車はまだ到着していない。


F田氏と並んでベンチに座る。


隣のホームには列車が止まっている。
裸電球の光に照らされた列車は
どこか幻想的ですらある。
旅の象徴だからかもしれない。


程なくその隣のホームの列車が動き出した。
日本のようにアナウンスもなく
発車ベルもなく
唐突に。


ゆっくりと
左から右に
くすんだ青い車両が流れていく。


目の前を2人のインド人が走り去って行き
列車に追いつき飛び乗る。


「うわ、結構ぎりぎりだなぁ。。。」


「ゆっくり発車するからなんとか間に合う感じっすね。」


そんなことを話していると
また、大きな荷物を抱えたインド人たちが2人、
目の前を走り去って行く。


これはさらにぎりぎり。
ホームの端のほうでなんとか列車を捕まえ飛び乗る。


列車がホームを離れた。
ホームを離れれば即座に暗闇だ。
月明かりが届く範囲には限界がある。
さっきまで目の前にあった鉄の塊は暗闇に溶け込み
丸い猫の目のような2つのライトの光がかろうじて残っているくらいだ。


大きなボストンバックを抱えて
おっさん3人が目の前を走り抜けて行く。


「いや、どう考えても間に合わんでしょ・・・。」


もう列車は闇に溶けている。


そしてその後ろ、
最後にもうひとりおっさん。
こちらはヨタヨタとゆっくり走り
顔には苦笑いを浮かべている。
さすがに諦めているようだ。


もう完全に線路の先にはなにもない。



しばらくしてその隣の線路に不意に2つの小さく丸い光が現れた。
暗い線路の先から、我々が乗る列車がやってきた。


我々の出発も
間もなくだ。








― つづく ―