第2章 到着から8時間、メインバザール


タクシーが走り出すと同時に
運転手はタクシーメーターのスイッチを入れた。
プリペイドどころか料金交渉制でもないらしい。
4年前、ムンバイで改造メーターを使われ
法外なタクシー料金を請求されたことを思い出す。


窓の外の夜のデリーは以前よりも都会に感じた。
道路幅は広く、両脇に街路灯が延々と連なる。
深夜にも関わらず絶えず車とすれ違う。
そのヘッドライトと街路灯の光で
市街地へと延びるこの道路はまぶしいぐらいに明るい。


ニューデリーはこんなに遠かっただろうか。
タクシーは一方通行や分岐、五叉路、
ぐるぐると同じような場所を回る。
メーターを進ませようとしているようにも思えてくる。



1時間近く走り続けた後
タクシーはスピードを落とし、細い通りに入った。
道があまり舗装されていないらしく
車体ががたがたと揺れる。


見たことのある風景だ。


「メインバザール?」


「イエス!メインバザール!」


運転手が振り返って答える。


窓の外は先ほどまでと打って変わって暗い。
ところどころの建物から
ほのかな光が漏れているものの
今が深夜であることを思い出させる暗さだ。


「ホテルの名前はナンダ?」


運転手がまた振り返って訊いてきた。
どうやらホテルまで送ってくれるようだ。
もちろん少しでも距離を稼いで
多く儲けたいという思惑はあるのだろうが
今は深夜。
野良犬も見かけたし、ホテルの目の前まで行ってもらったほうが良いかもしれない。


ホテル・ハリピオルコの名前を告げる。


「ハリピオルコ?」


ホテルの名前を復唱し
首をかしげる運転手。
どうやら知らないらしい。


タクシーが止まる。
運転手が窓を開ける。


「ヘイッ!ヘイッ!オマエ、ハリピオルコって知ってるか?!」


深夜の町を歩く青年に宿の場所を訊く運転手。


「ハリピオルコ?あっちだ、あっち!」


青年が指差し教えてくれる。
そこに別の青年と2人の少年も駆け寄ってくる。


「ホテルハリピオルコはココをまっすぐダ!」


「ハロー?オマエはジャパニか?!」


「オレはハリピオルコより良い宿を知ってるゾ!300ルピーだ!」


あっという間にタクシーに群がられている。
商売熱心というか、親切というか。
深夜の闇にまぎれ、彼らの眼のぎらつきが強調されている。
・・・これこれ、このパターン、この感覚。
インドに来たという実感が沸く。


「ヘイ!ジャパニ!明日はうちの宿に来い!」



わざわざ道を聞くまでもなく
そのまま道なりに行ったところに
ホテルハリピオルコはあった。


少し高いかなとも思ったが
運転手にメーターどおりの料金を払い
リュックを担いでホテルのドアをくぐる。
ロビーは暗かったが
従業員が起きているだけ熱心な宿だと思う。
ロビーの時計は深夜2時を指していた。


チェックインの手続きを済ませる。
この部屋に既にチェックインしている日本人がいないか尋ねたが
いないらしい。
F田氏はやはり到着していないようだ。


フロントに自分の名前を伝え
もし、このあと自分の名前を告げる日本人が来たら
部屋に通して欲しい旨を伝え
鍵を受け取り、従業員に部屋に案内してもらう。


部屋は3階。
もしかしたら受付のやつらが寝ぼけていて
F田氏は既に部屋にいるんじゃないか、という淡い期待も抱きながら
ドアを開ける。
当然、部屋は真っ暗でF田氏はいない。


「ビア?!」


部屋まで案内してくれた従業員にビールを勧められたが
そんな気分ではないと断り、
荷物をベッド脇に置いた。


これはいよいよインドひとり旅確定か・・・?


明日への不安と軽い絶望はあったが
疲れからか、
ベッドに倒れこんだ瞬間、猛烈な睡魔に襲われた。




部屋のブザーがけたたましくなり
目を覚ます。


ドアが叩かれている。


スニーカーを突っかけ
寝ぼけ眼でドアを開ける。



そこには満面の笑みを浮かべた従業員。
その後ろに・・・F田氏がいた。


「ユア フレンド?!」


従業員はF田氏を指差す。


「イエス!」


「レアリィー?!」


にやりと笑う従業員。


「シュア!」


F田氏と合流。


「あ、ちょっと待った。やっぱりビール持ってきて!」


半ばあきらめていた再会だ。
祝おう。
一仕事終えて去っていく従業員を呼びとめ
ビールと水を頼む。


「オーケー。ノープロブレム!
 ツー?スリー?フォー?!」


「いや2本でいい。」


ドアを閉める。
もう4時になる。


「いやー、福岡から飛んでないのかと思いましたよ。
 でもまぁ無事に到着できて良かった!」


「いや、全然無事じゃないんですよ。
 ・・・これ見てくださいよ。」


自虐的な笑みを浮かべ、大きく手を広げるF田氏。


え?


「荷物が無いんです。
 荷物が出てこなくて・・・。」



そういわれてみれば
F田氏の荷物は小さなボディバッグだけ。
近場に遊びに行くような格好だ。


預けた手荷物がなくなってしまう恐怖の事象、
ロストバゲージ・・・。






― つづく ―