― 第1章 ― 箱と男


タウィーゲストハウスは
大勢のスペイン人たちで溢れていた。


男達は顔を白く塗りたくり
金髪のカツラをかぶって女装をし、
女達は彼らに服を貸してしまったのか、
ほとんど下着同然の姿で
肩を組んで歌を歌ったり
女装した男達をバカ笑いしながらカメラに収めたりしている。
それが10人ほど。
心地よい響きの言語を扱い
陽気に大騒ぎしている。
彼らはスペイン人に違いない。


そんな彼らにチェックイン直後に絡まれては
俺も無理くりテンションをあげて
女装したごついスペイン人と抱き合い
写真を撮られたりするしかなかったのだ。


フロントでは受付のタイ人が愛想笑いをしている。
ロビーでは見事な太鼓腹をした白人のおっさんが
パソコンをいじりながら横目でちらちらとこちらを見ている。
彼はきっとドイツ人だろう。



タウィーゲストハウスはバンコク西部のテーウェー地区にある。
空港からタクシーで約1時間。
カオサン通りにもなんとか歩いていける距離だ。
他に2軒、別の宿で部屋を見せてもらったが
エアコン付きの部屋が空いていたのと
ロビー付近だけではあるが
WiFiが利用できるというのが決め手だった。


1軒目の宿で空き部屋を見せてもらい
そのサウナのような部屋に通された時点で
エアコン無しという選択肢は無くなったが
WiFi環境の有無というのも重要だった。
WiFi頼りのスマホ
メールをチェックするためである。


今回の旅で唯一予定立てられていたことは
バンコクで、バイト時代の後輩のYアサ氏と数年ぶりに会うことだった。
Yアサ氏は昨年から仕事でバンコクに来ているのだ。
問題はほとんど綿密な打ち合わせ無しに
昨日、明日バンコクに到着するとメールし
そしてもういまバンコクに来てしまっていることだ。
返信を受けていない。
これ、会えるわけない。


ロビーでWiFiに接続して
メールをチェックすると
Yアサ氏からメールが来ていた。
着いたら連絡くださいとのことだ。
着いた旨を返信してみる。


返事は無い。
先ほどのメールには
電話番号も載っていたが
俺のスマホに通話機能は無い。


さて、これはまずい。
Yアサ氏もGメールだ。
もしメールを見ないまま
深夜まで残業しようものなら
少なくとも今日は会えなくなってしまう。


電話・・・か。


フロントのおっさんに
電話を貸してくれと頼んでみる。


満面の笑みで外にあると言われる。
この宿の前の路地を抜け
まっすぐ行って右だと。


携帯とか貸してくれんのか・・・?


言われたとおり外に出てみるが
それらしきものは無い。


近くの別の宿に行き
フロントのおばちゃんに電話を貸してくれと頼んでみる。


「そこだよ!そこ。この向かい!」
と指をさされる。


携帯とか貸してくれんのか・・・?


しかたなく指差されたほうに向かい
道路を渡る。


そこに四角い鉄の箱が置かれていた。
箱にはボタンが付いている。


公衆電話?


受話器は無い。
が、0から9までボタンも付いているし
小さな液晶画面も付いている。
公衆電話なのだろう。
インドのように、電話屋みたいなものがあるのかと思っていたが
普通に公衆電話だ。


とりあえず説明書きみたいなものもあったので
小銭をあるだけ入れて
ボタンをプッシュしてみる。


小さな画面に数字が表示され
それがどんどん減っていっている。


繋がったのか?


「もしもーし。もしもーし。」


受話器が無いため、箱に直接話しかける。
返事は無い。


そのうち数字が0になる。


金はもちろん返ってこない。


仕方が無いので一旦宿に戻り
小銭に両替をしてもらう。


再び箱の前へ。


そこへちょうど若者が通りかかったので
呼び止め、電話をかけたい旨を伝える。


小銭と電話番号のメモを渡し
若者に公衆電話を操作してもらう。


再び小さな画面に秒数が表示される。
若者にお礼を言うと
若者は満足そうに去っていった。


「もしもーし。もしもーし。」


だがやはり返事が無い。


振り向いても若者はもういない。


「もしもーし。もしもーし。」


陽もすっかり落ちてしまった。
暗闇のなか、鉄の箱に向かって
異国の言葉をかけ続ける日本人。
受話器も無いし人通りも無い。


「もしもーし。もしもーし。」


そして再び画面は0を表示した。





― つづく ―