第52章 ハード・ボイルド・ワンダーランド ― in Varanasi 8 ―


「ヘイ!ジャパニ!!ホテェル?!」


「ノーセンキュー。もう宿はとってるよ。」


「オレのほうがグッドなホテルを知ってるゾ!
 ドコのホテルだ?!」


「モヌーファミリー!」


それを聞くと客引きの男は怪訝そうな顔で去っていく。
世界的旅行ガイドブックのロンリープラネットに載ったとはいえ
まだまだモヌーの宿は有名ではないのかもしれない。



朝11時にモダンヴィジョンゲストハウスをチェックアウトした我々は
リュックを担いでモヌーの宿へ向かっていた。
今日からモヌー・ファミリー・ペイイング・ゲストハウスに泊まるのだ。


ベンガリー・トラ通りを抜け
ダシャーシュワメード通りからヴィシュワナート通りに入る。
牛の糞に気をつけながら迷路のような日陰の道を進む。
モヌー家の傍の最後の曲がり角に差し掛かったとき
待ち構えていたかのように笑顔のインド人が現れた。


「ハロー!ドゥーユーリメンバーミー?!」


七三分け。
ぎょろりとした目とちょび髭。
少しこけた頬。
インドの民族服である白いクルター、パジャーマー姿だ。


「アイム ヒロシ!ヒロシ!!
 ドゥーユーリメンバーミー?!8年前!!」


ヒロシと名乗るこのインド人。
正直、まったく記憶に無い。


「アイム リメンバー ユー!8年前!!」


8年前を連呼するってことはやっぱり会ってるんだろうか。
8年前でこの近所の知り合いっていうと・・・
ゴールデンロッジかファジンズか・・・
あ・・・それとも服屋のやつか?
いや、でも服屋のやつはもっと年取ってたような・・・。


オレが憶えていないのを察したのか
ヒロシと名乗る男は
「コッチコッチ!」
と手招きしながらモヌー家の隣の家に入っていった。
付いていって家の中をのぞくと
部屋の四方に並べられた木の棚に
満遍なく色とりどりの生地や服。
うん、服屋だ。
確かに8年前この店をM上と訪れ
お土産用のシルクのスカーフと布を買った記憶がうっすらとある。


うーーーん、ヒロシかぁー。
そんなのもいたような、いなかったような。


「まぁ、とりあえずまたあとで!」



ヒロシと別れ
隣のモヌー家へ。


玄関を抜けると、こじんまりとしたフロントにモヌーのオヤジがいた。


「ハロー。プージャゲストハウスは良かったか?」


「ハロー」の「ロー」の部分で声が裏返る癖も相変わらずだ。


「いや、ノーグッドだったよ。」


オヤジは満足そうに頷く。
本当にここの親子はプージャゲストハウスが嫌いらしい。


「ところでモヌーは?」


オヤジによるとモヌーは今出かけているらしい。
行き先はフレンチレストラン。
そのレストランでフランス人にフランス語を習っているというのだ。
相変わらずの勉強熱心さに関心する。


部屋へはモヌーの母が案内してくれるようだ。


「カモン。」
というモヌーママに続いて階段を上る。



吹き抜けの2階踊り場には先客がいた。
映画にでも出てきそうなイケメンのパーマヘアの白人男性と
これまた美人なドレッドヘアーの黒人女性。
美男美女のふたりは部屋の前のベンチに腰掛けタバコを吸っていた。


「ハロー!」
取り敢えず挨拶をする。


「ハロー!」
挨拶が返ってくる。


「彼らは息子の古い友人なのよ。」


というモヌーママの紹介が終わるか終わらないかのところで
黒人女性がとんでもない発見をしたように大きく目を見開き叫ぶ。


「アーーーー!!
 アナタのこと知ってるワ!!
 昨日見たわ!!見た!!知ってるわ!!
 フロントで見た写真よ!
 子供のころのオーナーと一緒に写ってた!!ずっと昔の写真よ!!
 キャー!グレイト!ワンダフル!アメイジングよ!!
 またインドに来ちゃったの?!ずっとインドに来てるの?!
 まさか会うなんて!アナタ、クレイジーよ!キャー!!」


大笑いしながら大興奮の黒人女性。
足掛け8年、4度目のインド、
3度目のヴァラナシ。確かに、クレイジーかもしれない。



さらに階段を上って3階へ。
プレミアムルームのドアの前に立ったときに
モヌーママが聞いてきた。


「アナタたち、部屋の鍵は持ってるの?」


もちろん鍵は持っていない。
モヌーのオヤジはそこまで気が利かない。
鍵はまだもらっていないことを伝えると
モヌーママはサリーの裾から
ジャラジャラとした鍵の束を取り出し
束ねている紐を歯で噛み千切った。


「コレがこの部屋のキーよ。」



部屋に入って取り急ぎリュックの中身を整理していると
モヌーのオヤジがノックも無しに部屋に入ってきて
シャワーの使い方を教えてくれた。


「右がホット。左がコールドだ。」



オヤジが出て行ったあと
せっかくだからシャワーを浴びてみることにした。
ホットシャワーなんてカニャークマリ以来じゃなかろうか。


まずは俺からバスルームへ。
オヤジに教わったとおりに蛇口をひねる。
すぐにシャワーヘッドから水が出て
そのうち湯気が立ち昇り始める。


指先で温度を確認して
頭からシャワーを浴びる。


おーーー熱い!気持ちいい・・・!!
水シャワーに慣れると
単なるホットシャワーでも
温泉に久しぶりに浸かったときのような気持ちよさがある。
やはり疲れをとるならホットシャワーでないと。
たかだか2、300円の金をけちって
水シャワーを浴びるべきではないとしみじみ思う。


が、その快楽も束の間。


ボシュッボシュッとシャワーが怪しい音を立て始める。


あれ?


今まで勢い良くシャワーヘッドから出ていたお湯は
にわかに勢いを失い、チョロチョロと零れ落ちる程度になってしまう。


起動からわずか1分。
ホットシャワー活動限界。



まぁ仕方ない。
水シャワーを浴びてバスルームを出る。



次にナベタクがバスルームへ。


U君はベッドに寝転がって本を読んでいる。
俺はベッドの端に腰掛けタバコに火を点ける。


髪を左手でわしゃわしゃと掻き散らす。
インドではドライヤーが無くても
30分もすればすぐ髪は乾く。


ヴァラナシでの滞在期間もあと少し。
明日の夕方にはヴァラナシを発つ。
つまり、インドも、あと3日。


「熱ッ!!あっつ!!!」


タバコをふかしながら物思いに耽っていると
バスルームから叫び声が聞こえてきた。


そのあと5分もするとタオルで頭を拭きながら
ナベタクがバスルームから出てきた。


「火傷しました・・・・。
 最初、いつもどおり水シャワー浴びてたんすけど
 なんか途中いきなり、シャワーから熱湯が出てきて・・・。」



聖地ヴァラナシで
ナベタク熱傷。
なるほど・・・。
さすがはチャイも作れるボイルドシャワー。


しかし、使い方は極めて難しいらしい。










つづく