第45章 因果 ― in Varanasi 1 ―


列車が鉄橋を渡る。
眼下には聖なる河、ガンガーが流れる。
相変わらず流れの向きが良く分からない河だ。
むしろ流れていないようにも見える。
時刻は朝10時を過ぎ
河のところどころはきらきらと陽の光を弾いているが
それでも光を飲み込んでいる部分のほうが多い気がする。
鈍色の河。


それから20分後、列車はヴァラナシ駅に到着した。
4年ぶりにヴァラナシに帰ってきた。
初インドのU君とナベタクにとってはもちろん初のヴァラナシだ。


駅構内のツーリストオフィスに入り
地図をもらう。
ガイドブックも持っているし
たぶん使うことは無いだろう。
京都や箱根のパンフレットと同じく記念品のようなものだ。


駅前で料金交渉もそこそこにリクシャーを拾う。
行き先はゴードゥリヤー交差点。
そこまで行けば
ガートは、河は、目と鼻の先。


走り出した直後は落ち着いた運転を見せていたリクシャーワーラーのおっさんだが
最初の曲がり角を曲がったあたりから
いらいらし始める。
道が混んでいるからだろう。
だがおっさんに徐行という概念は無い。
前方が渋滞しているなら
それを越えて行くまでだ。
前のタクシーとの距離がどんどん縮まる。


タクシーとの車間距離が1メートルを切ったのを合図に
おっさんはハンドルを右に切る。
我々3人の身体が大きく左に傾く。
後ろに客が乗ってるのなんてお構いなし。
全力で前方のタクシーを抜きにかかる。


だが、そこで大きな問題が。
さらに外枠から別のリクシャーが突っ込んできたのだ。
相手の若造のリクシャーのほうが性能が良いらしい。
我々のリクシャーは簡単に抜かれてしまい
おっさんが狙っていたタクシーの側面のポジションを取られてしまう。


これにおっさんブチ切れ。


「この若造がぁ!!!」
と言ったかどうかは定かではないが
ヒンディー語かなんだか分からない言葉を叫びながら
ラクションを鳴らしまくるおっさん。


前方の若造のリクシャーも
それでビビッて道を空ける訳ではない。


おっさんはそのまま突っ込む。


「えっちょっと!落ち着・・・」


ガッ。


スピードがそれほど出ていなかったのが幸いして
我々は身体が少し前後に揺れたぐらいだったが
普通に接触事故。


これには前方の若造もブチ切れ。
アクセルは緩めずそのまま振り返って
「なにしとんじゃあ!この老いぼれがぁ!!」
と言ったかは定かではないが
目を血走らせまくし立てる。


対するおっさんはもちろん逆切れ。
「やかましぃわぁ!!半人前がワシのまえ走んなや、ぼけぇ!!」
といった感じで怒り狂う。


「そっちこそ黙れやぁ!わしゃお前みたいなポンコツ相手にしとる暇無いんじゃあ!!」
と判断したのか
若造はなにやら捨て台詞を吐いてスピードをあげる。
「待てやこらぁ!」
と言わんばかりにおっさんもクラクションを鳴らし
それを追いかける。


「ねぇねぇ、俺らそんな急いでないよー。
 そんな飛ばさんでもいいから・・・。」


前傾姿勢で若造を追うおっさん。
ラクションは鳴らしっぱなし。
後ろの座席でドン引きの日本人3人。
相手の若造はさらにスピードを上げる。
やはりリクシャーの性能が違うのか、それとも腕か。
すいすいと他のリクシャーやタクシーの隙間をすり抜けていく若造。
その後は再び追いつくことも無く
若造のリクシャーは見えなくなってしまった。


程無く我々はゴードゥリヤー交差点に到着した。
リクシャーを降り、依然不機嫌なおっさんに料金を支払い
河の方へ向かう。
4年ぶりに
交差点から河へ向かう。
懐かしい風景だ。
乾いた日差し。
砂埃が舞う道を
人々が行き交っている。
その何分の一かの速度で
野良牛がのろのろと歩いている。
陽に焼けて真っ黒い顔をした女達が地べたに布を広げ
野菜や腕輪を売っている。
身に纏ったサリーの色がくすんでいる。


ガートへ到着するまでの間
何人ものインド人に声を掛けられる。
大概がホテルの客引き。
そしてその大半がプージャゲストハウスの客引きだ。
なかにはいがぐり頭をした小学生ぐらいの少年もいた。
「ワタシ日本人大好きねー。
 困ってる日本人助けるねー。 安い宿紹介するねー。」
といかにも胡散臭い日本語で話しかけてくる。


ただ、確かにまずは宿だ。
少年を丁重にあしらったあと
我々は宿を探すことにした。


1件目はラクシュミ・ゲストハウス。
一番繁華なダシャーシュワメード・ガートから極めて近い立地。
フロントで部屋を見せて欲しいと伝える。
「どんな部屋だ?」
「ダブルベッドルーム ウィズ エクストラベッド オア トリプルベッドルーム。」
「オーケーカモンッ!」
従業員に付いて階段を上る。
従業員がドアを開ける。
「ディス イズ ダブルベッドルーム。
 ガンガーヴューだ。」


「・・・・・」


部屋の窓際でカレーを食っていた日本人の青年が
突然の来訪者にびっくりした顔でこちらを見る。


「えっと、こんにちわー。
 どうですか?この部屋は?」


「え、結構良いですよ。
 部屋からガンガーも見れますし。」


「あ、そうですか。ありがとうございますー。」


部屋をあとにする。
・・・なんで客が泊まっている部屋を見せるんだ・・・。


「ジャパニ、あの部屋が350ルピーだ。
 あの日本人も明日出て行く予定だ。
 そのあとおまえらが泊まれるぞ!」


どうやら今日は満室らしい。
その後見せてもらった屋上からの眺めも良かったが
満室ならどうしようもない。
次の宿を探す。


2件目はガンガーフジホーム。
エアコン付きの部屋しか空いてなく
しかも800ルピーとヴァラナシの安宿では考えられないほど高い。
なにより坊主にオシャレメガネの名物イケメンオーナーが
ソファにふんぞり返って「安い部屋空いてないよ。」
と日本語で言ったのがイラッときて却下。


3件目はアルカ。
ガンガーの岸に食い込むように立てられたカフェテラスを持つ
恐らくヴァラナシで最高にオシャレな安宿。
その割りにリーズナブル。
で、当然満室。
さすがは人気宿だ。


アルカの従業員に連れて行かれ
系列の宿へ。
ここが4件目。
「ここは最近オープンさせたばかりのグッドホテルだ!」
従業員が誇らしげに言う。
確かに悪くない宿だ。
白を基調とした宿内。
エントランスホールは吹き抜けになっていて
頭上から光が差し込んできている。
だが、1階の空いている部屋はそれと対照的に暗かった。
2階の部屋が空いていればあるいはとも思ったが
場所がガートから離れていることもあり、見送り。


そして結局、チェックインしたのは5件目。


なんだかんだで・・・ここか。


プージャゲストハウス。
今やヴァラナシの安宿界の雄。
飯もまずいし部屋もひどいが
屋上からの眺めだけは一級。


4年前、高熱に倒れ
右手が動かなくなり
寝返りでバッタを潰した
思い出の宿だ。










つづく