第42章 リットンホテル ― in Calcutta 4 ―


その日の夜は
3人でバーに行くことにした。
10年間想い続けたカルカッタ
期待を大きく裏切ってはいたものの
悪い街というわけではなかった。
タイを旅する旅行者達がインドのゲートシティに選ぶのも頷ける。
だが、暇だ。
カルカッタで一番アツイのは早朝かもしれない。
街の南にあるカーリー寺院では
カーリー女神に捧げるため
早朝、ヤギの首をはねるのだそうだ。
毎日、同じように、淡々と。
モイダン公園にしても
早朝にはヨーガの修行に勤しむ市民の姿が見られるらしい。
サラリーマンの街でもある大都市カルカッタ
チャイ屋を始め、早朝の屋台が盛り上がる。


それに比べて、夜は暇だ。
歓楽街とまでは言えない中途半端な夜の街に変わる。
人々は皆、近郊の町へ帰る。
旅行者は、我々は、バーにでも行くしかない。



夜の闇に浮かび上がる白い門。
宿のエントランスから染み出す光が
間接照明のように門を照らしている。
門の横にはガードマンが立っている。
不機嫌そうなしかめ面。
足元は石畳。
門戸は開け放たれているが
襟のある服でないと入りにくい雰囲気だ。
いつからこの宿はこんなに大きくなったのだろう。
リットンホテル。
今夜はそのリットンの敷地内にあるサンセット・バーに行くことにした。


リットン・ホテルは「深夜特急」のなかで
沢木耕太郎が泊まった宿だ。
当時の宿泊料は、カルカッタの安宿の相場の約3倍。
それが今ではホテル・パラゴンやホテル・マリアといった有名安宿と比べて
20倍以上にまで宿泊料が跳ね上がっている。
深夜特急」の効果があったのかは定かではないが
ここ30年で凄まじいインフレぶりである。



重い木のドアで外界と遮断されたサンセット・バーは
どうにも落ち着かない雰囲気であった。
利き過ぎのエアコン。
赤を基調とした店内に
黒い革張りのソファ。
仄暗い。
弱々しい照明の光は
壁に貼り付けられたミラーに吸い込まれているかのようだ。
くねくねと曲がった良く分からないオブジェがある。
カウンター後ろの棚に並ぶ酒類
日本のバーにも見劣りしない。
テーブル席ではパリッとしたシャツを着た小金持ち達が
グラスに氷を浮かせ、琥珀色の液体を飲んでいた。


とりあえずビールを頼む。


冷えた細長いグラスに
きめの細かい泡を浮かべた生ビールが注がれてくる。
つまみとしてナッツが添えられる。


下卑た笑い声が聞こえる。
先ほどビールを運んできた長身のウェイターと
それとは別の髭のウェイターが
カウンターに寄りかかりながら談笑している。
その声の奥に広がるBGMが耳に止まる。
サッカリー マサッカリー・・・
インドポップスだ。
有線・・・いや、ラジオだろうか。
サッカリー マサッカリー
サッカリー マサマサッカリー・・・
耳に残るフレーズだ。
悪くない。


曲が終わるころ
3人ともビールを飲み干した。


あまり長居したい場所ではない。


「チェックプリーズ。」


お会計を頼む。
ビール1杯が安宿の宿泊料より高い。
長身のウェイターに代金を支払い、席を立つ。


「ジャパニ、もう帰るのか?チップをくれ!チップを!」


髭のウェイターがにやにやしながら
右手を差し出してくる。


今までインドのどのバーでもチップを要求されたことはない。
しかもサービスチャージは先ほどの会計で既に支払っている。
なによりこいつはサービスなんて一切していない。


「ノー。」


一応笑みを造り、サービスチャージを支払っている旨を伝え断ると
髭のウェイターは
「ジャパニ イズ ノーグッド!」
と、捨て台詞を吐いた。



夜のサダルストリート。
無数の街灯から放たれる無機質な青白い光。
レストランやバーのネオンはカラフルだが
奥行きが無い。
街が剥製のようだ。
この街は、もう完成しているのかもしれない。
人は絶えず入れ替わっても
この街は変わらないし、動かない。
さして酔っ払ってもいない頭で
そんなくだらないことを考える。


蠢く町というのが好きなのかもしれない。
立体的で混沌としていてエネルギーに溢れる町。
そんなことも思う。


残る町は
ヴァラナシとデリーのわずか2つ。


4度目のデリーと
3度目のヴァラナシ。


サッカリー、マサッカリー
と、口ずさみながら宿へ戻る。










つづく