第36章 招かれざる男 ― in Bhubaneswar 2 ―


ついに我々の部屋に灰皿がやってきた。


そしてあの男も再び我々の部屋にやってきた。


180センチはあるだろうか。
がっしりとした体躯。
浅黒い肌に浮かぶ
ぎょろりと丸く
血走った目。
げじげじと伸びた眉。
いつもニヤニヤした口元にかかる
下品な口ひげ。
前歯が1本抜けている。
前回泊まったときに
我々に執拗にチップやタバコを要求してきたあの男だ。


「ヘイ!ジャパニ!!ウォーター!!」


ウェルカムウォーターのつもりだろうか。
男は両手にそれぞれ1リットルのペットボトルを握り締めている。


そのペットボトルを
乱暴にベッドサイドのテーブルに置く。


「ヘイ!ジャパニ!!チップ!!」


男は頼んでもいない水に対し
チップを要求してくる。


仕方なくU君が10ルピーを渡す。


「いや、水はいいからエクストラベッドを持って来てくれよ。」


「オーケーオーケー。ウェイト!」
ぞんざいに返事をする男。
10ルピーをくしゃっとポケットにねじ込み
部屋を出て行く。


ドアぐらい閉めろよ・・・。


目の前に置かれたウォーター。
良く見ると薄汚れたペットボトルだ。
ラベルが変色している。
もちろんキャップも一度開けられた痕跡がある。
あのやろう。これ中身、水道水じゃねぇか。



5分もすると男は息を切らせて戻ってくる。
頼んでもいないのにビールを抱えている。
急いで買ってきたんだろう。汗だくだ。


「ジャパニ!キングフィッシャーだ!500ルピーだ!!」


いらねぇよ!しかもぼったくりすぎだろ。
キングフィッシャーなんてBARで飲んでも100ルピーがいいとこだ。


「いいからエクストラベッド!!」



ベッドの上でタバコを吹かしながら
エクストラベッドを待つ。
日本から持ち込んだタバコは1カートン。
ひとつの町で
ひとつのハイライトで
そして河で
キャスターマイルドを喫したかった俺は
最近日本タバコを温存し
ゴールドフレイクやネイビーカットといったインドタバコを繋ぎとして使っていた。
灰は当然灰皿に落とす。
ペプシの空き缶ではない。
我々はやっとこの宿でアッシュトレイ(灰皿)を手に入れたのだ。



タバコを1本吸い終わったころ
やっとのことで男は我々の要望、エクストラベッドを持ってくる。
折りたたみ式の簡素なベッドだ。


ベッドを組み立てている間も
「ジャパニ。コーヒーはいるか?」
いらない。
ティーはどうだ?」
いらない。
「じゃ、チキンビリヤーニーは?」
いらない。
「マトンビリヤーニーならどうだ?」
いらねぇよ!


エクストラベッドを組み立て終わった男は
例の如く指でタバコを吸う仕草を見せ
「シガレット!!」


ナベタクが「無い。」と応えると
目ざとく灰皿の中の吸殻を見つけ
「あるじゃねぇか。証拠が!」


なんだこの図々しさは。
俺ら客だぞ?客だよな?
これもはや恐喝だろ?!


仕方なくインドタバコを1本渡すと
男はダミ声で
「サンキュー。」
タバコを咥えて部屋を出て行く。


性質の悪いチンピラだ。
ここまで露骨にチップを要求されたことはかつて無い。



テレビをつけると
ニュースで各地のホーリーの映像が流れている。
まるで暴動だ。
爆竹が鳴り響く市街地。
徒党を組んて街中を走り回る色とりどりの大人達。
敵対するグループと鉢合うと
壮絶な色水のぶつけ合いが始まる。
粉が舞う。
煙が上がっている。


比べて窓の外にあるのはブバネーシュワルを覆う斜陽。
時折、微かに太鼓の音が聞こえるが
人々の歓声は聞こえてこない。
年に一度のホーリー
やはり北インドか都市部でないと
激しくはやらないのだろうか。



夜にはバールに行き
マクダウェルやビールを飲みながら
2時間ほど時間を潰すも
状況は変わらず。


結局今回のホーリーでは
8年前のデリーのような熱狂は見られず
いつもよりも早く
夜が更けていった。


涼しい夜だった。
乾季から酷暑期へ移る途中の東インド
日に日に夜も暑くなっていくはずだった。
それでもこの町のこの夜は涼しかった。
後で思えば、なにかずれていたのだ。
いや、遅れていたのか。


ここブバネーシュワルは。










つづく