第32章 海とオムライス


海へ向かう列車の終着駅。
プリーという町はそんな印象だった。
町というより漁村といったほうが良いかもしれない。



駅前を離れ歩き出すと
本当にのんびり穏やかな町だという印象を受ける。
自転車が多い。
サイクルリキシャーも多い。
オートリクシャーも少しはいるが
タクシーや乗用車はほとんど通らない。
インドの都市でお馴染みの
排気ガスとクラクションの渦がここには無い。
半径数キロの小さなこの町では
ガソリンが揺れる乗り物はあまり必要ないのかもしれない。


道行く人々ものんびりとした印象を受ける。
驚いたのは彼らが客引き目当てではなく我々に話しかけてくることだ。
日本人旅行者に「普通」に話しかけてくる。
「ハロー!ジャパニ!!シルク?!」
「ハロー!ジャパニ!!タクシー?!」
などではなく
「ハロージャパニ!」
や、片言の日本語で
「コンニーチワー!」までで止まる。
ただ挨拶をするだけ。
そのことがここインドではとても新鮮だった。



駅前から砂埃で曇ったアスファルトが伸びる。
両脇にはいくつかの商店が並ぶ。
野菜屋、金物屋、雑貨屋。
雑貨屋には板だか布だか判らない屋根が付いている。
店先には浅黒い肌の太ったおやじ。
砂で汚れたプラスチックのイスに座り居眠りをしている。
店主だろう。
おやじの横の平台には
赤、青、黄色の粉が山盛りに盛られている。
ホーリーまであと2日だと言うことを改めて実感する。
2日後にはあの粉のせいで
俺は大変なことになっているかもしれない。



ひとまず安宿街を探す。
ガイドブックの地図によると
郵便局の前で左に曲がれというのだが
肝心の郵便局が見つからない。
進んでは引き返し
曲がっては引き返し
結局、南に行けば海辺に辿り着き
結果、目的の安宿街に辿り着くだろうという算段のもと
適当な路地を折れ
南へと歩を進めていく。


正面から強い風が吹く。
砂埃が舞う。
潮の香りがする。
海が近い。


かもめの声が聞こえ
程なく道は行き止まり
左右に変わらず砂をかぶった路地が広がった。
そこが安宿が並ぶチャクラ・ティルサ通りだった。



我々は通りに入って一番最初に目に付いた
「ラヴ&ライフ」という安宿にチェックイン。
部屋で一服したあと
遅めの昼飯を食うことにする。
敷地内にレストランがあるらしい。


敷地内に建てられたレストランは
インドでよくある良く言えばオープンカフェタイプ。
木のテーブルと木のイスが地面の上にそのまま置かれている。


席に座ると店員がメニューを持ってきた。


メニューに
OM−RICEこと
オムライスがある。
引き続き下痢気味のため
こういったスパイシーじゃない料理はありがたい。
ベジ、チキン、フィッシュと3種類あるオムライスの中から
チキンのオムライスを注文。


15分ほどして
オムライス(チキン)が運ばれてきた。
1時間近く待たされることも多いインドで
この提供スピードは合格点。


「ジャパニ、・・・オムライス!?」


店員が自問自答するように料理の名前を告げ
湯気を放つ丸い皿がテーブルに乗った。


オムライス?!
今度は俺が自身の経験知を疑う。
皿の隅々まで敷き詰められた
インディカ米。
ぶつ切りにした鶏モモ肉、刻んだたまねぎ、青唐辛子と一緒に
油で炒めてあるようだ。
そのチキンライス?部分に
赤いチリソースが3重ほど円を描き
中心には目玉焼きが乗せられている。


・・・全然、オムライスじゃねぇ。


8年前にヴァラナシのゴールデン・ロッジで食ったオムライスは
まだかろうじてオムライスだった。
当時のそれは溶き卵をクレープ状にして
チキンライスらしきものを包んでいたし
ケチャップもかかっていた。
目の前の物体はオムライスの原型を留めていない。
・・・そもそもなぜ目玉焼き?!


ひとまずたいらげる。
味は悪くない。


食べ終わると白いエプロンを着けたコックが
恐る恐る我々の席に近づいてきた。


彼は不安そうに尋ねる。
「ジャパニ、このオムライスはOKか?」


やはりコックも自分の作ったこの料理が
本当にオムライスなのか不安なようだ。
俺は親指を立て
満面の笑みで
「パーフェクト!!」
と応えておいた。


コックは満足そうに頷き
厨房へと戻っていった。


このレストランでは
これがオムライスとして出され続けていくだろう。


またひとつ、
文化が生まれた。










つづく