【13】 漓江


イカダの穂先が
水を切る。
下流から
上流へ。
広西チワン族自治区を南北に流れる大河、漓江(りこう)を遡る。


竹を10本まとめたイカダ。
竹の上に薄い木の板が張られ
その上に座席が3席。
乗客は俺ひとり。
座席の後ろにはモーターが取り付けられており
その傍で良く陽に焼けた坊主頭のおっちゃんが
タバコをふかしながらイカダを操舵している。


両脇には丸い峰の山々が並ぶ。
河からの蒸気で靄がかった風景は
まさに山水の美、水墨画の美しさそのものだ。
ゆっくりと時間が流れ
段々と景色が変わる。




陽朔の宿を出発したのは朝10時。
バスに1時間ほど乗り
興坪 (シンピン) という村に来た。
そのまま桂林に直行するのは少し勿体無いと思ったのだ。


バスから降りた瞬間から
2、3人のおばちゃんが声をかけてくる。
その手にはくたびれたパンフレット。


「ボートに乗らないかい?」


丁重にお断りして
バス停前の食堂で野菜炒めを食うが
先程のおばちゃん達が
食堂の入り口の席に腰掛け世間話を始めている。


食堂を出るときにも
声をかけられるが
これまた通じているのかいないのか分からない英語で
丁重にお断りする。


村をぶらぶら歩くうち
客引きのおばちゃん達は
ひとりまたひとりとあきらめていったが
最後にひとり、やけに申し訳無さそうな顔をしたおばちゃんだけが残った。
日陰でも日差しがまぶしそうな表情をしている。


「乗らないよ。」


何度そう言ったか。
それでもおばちゃんは俺が行く先々に着いて来る。
枝分かれした道に差し掛かるたび
「河はこっちだよ。ボートもこっちだよ。」
と教えてくれる。


「ありがとう。河は見るけどボートは乗らないよ。」


ベンチに座ってぼんやり河を眺めたり
河を写生している学生の絵をぼんやり眺めたり
その間もおばちゃんはずっと俺に着いて来た。
着かず離れずの距離。


1時間もするとさすがに根負けした。


「わかった。乗るよ。」


常時、眉毛をしかめて申し訳無さそうな顔をしていたおばちゃんは
そこで初めて笑った。



半ば仕方なく乗ったようなイカダボートだが
今は非常に満足している。
そもそも桂林旅行のハイライトとも言うべき漓江を避けてきた理由は
その料金にある。
ガイドブックによると漓江下りは
豪華クルーザーで5時間、895元
つまり約12500円。
日本の下手な屋形船より高い。
それがクルーザーをイカダに
5時間を1時間半に
そして、下りを上りにするだけで
わずか80元、約1100円になったのだ。
こうなってくるとプラス思考が暴発する。
クルーザーよりイカダのほうが風情があるじゃん!
風と波しぶきが気持ちいいぜ!
5時間も乗ってられっか!河は太く短くじゃぁ!
なにより河は上ってなんぼじゃ!
河下りなんぞ軟弱者のやることじゃぁ!
鯉も鮭も皆、河を上るんじゃぁ!!



他のイカダに乗ったハイテンションな中国人達が
すれ違うときに巨大な竹筒の水鉄砲で水をかけてくる。


「危ねぇ!カメラあるからカメラ!」


そう言いながらもお互い笑顔がこぼれる。


岸では野良牛が水浴びをしている。
中洲にはウェディングドレスとタキシード。
結婚式用の写真を撮っているのだろう。



1時間半のイカダの旅は
まったく飽きを感じさせないまま終わった。
到着した村はヤンディと言うらしい。


ブッダガヤのように観光擦れしているわけでもない
ごく普通の村だ。
ネギならぬリュックを背負った日本人が折角うろうろしているのに
誰も声をかけてこない。
客引きがいない。
オープンテラスのカフェも無ければ
みやげ物屋も無い。
旅行代理店どころかバス停も無い。


・・・バス停が・・・無い?!


あのおばちゃんは確か
ここヤンディからバスで桂林に行けると言っていた。
バスなんてほんとにあるのか?
もしかしたら俺が聞き間違えただけかもしれない。


とりあえず通りの脇にあった雑貨屋や宿屋に入って
「桂林(グヮイリン)、バス!グヮイリン、バス!」
と連呼してみる。


しかし、これが要領を得ない。
雑貨屋のおばちゃんはそこがバス停だといい
宿屋のおっちゃんは桂林行きのバスは無いと言う。
雑貨屋のおばちゃんが言う「そこ」には
バス停の標識も、屋根も待合のイスも無い。


さて、困った。
河上りで高揚しているから危機感が希薄だが
今夜の列車は予約済みだ。
カツカツのスケジュール。
これに乗れないとなると
リアルに日本に帰れない。
とりあえずしばらく歩いてみようと思い
とぼとぼと田舎道を歩き始める。
しばらく歩くと前方の下り坂から
青白いバスの屋根が顔を出した。
坂道をゆっくりと上り、徐々にその全貌を表するバス。
砂煙を巻き上げながら砂漠の中のオアシスのように近づいてくるバス。
バスや列車が向かってくるのを見て
こんなに胸が踊るのは
インド以来じゃなかろうかと思う。


反射的に手を振りバスを止める。
行き先は分からないが
とりあえず乗ってみる。
GRAYが言うところの「ここではないどこかへ」。


牛臭い窓からの風に
安心したのも束の間。


急にバスが止まる。


乗務員のお姉さんが
降りろと言う。


「桂林はここで乗り換えよ。」


え、あぁ・・・。
半ば困惑気味にバスを降ろされる。


降ろされた場所は
それこそ何も無い三叉路。
車やトラクターが目の前を行き来している。


あれ?
俺・・・桂林に行くなんて言ってないはずなんだけど・・・。
一瞬、不安に駆られるが
その不安を一緒にその場所に降りた中国人のイケメンがかき消してくれる。
イケメンは格好こそタンクトップにカーゴパンツと言う格好だが
チュートリ○ルの徳井にクリソツだ。
徳井は麦わら帽子をかぶったギャルを連れている。
もうひとり一人旅風の黒縁眼鏡の女の子もその場所で降りたが
徳井は持ち前のルックスですぐにその娘と仲良くなり
麦わら帽子のギャルに蹴飛ばされている。
徳井はおもむろにリュックから生のキュウリを1本取り出し
水筒の水で洗ったあと、2人の女の子に差し出すも
おもくそ拒否されたので
仕方なくひとりでもしゃもしゃとキュウリをかじっている。
大丈夫だ!
徳井がこんなに余裕しゃくしゃくでキュウリしゃくしゃくなところを見ると大丈夫だ!
桂林行き、少なくともどっかの町行きのバスはきっとここを通るだろう!
ヤンディはあんな小さな村だ。
もしかしたら宿屋のおっちゃんか雑貨屋のおばちゃんが
桂林に行きたがっている日本人がいることを
バスの運転手に伝えてくれていたのかもしれない。


10分ほど待つと
確かに桂林行きのバスが来た。


しかし次なる問題は
乗車率200パーセントの混み具合だったことだ。


座るどころか通路までも辿り着けなかった俺は
仕方なくバスの入り口のステップ部分に立ったまま。
そのままバスは走り始める。
中国まで来てなにやってんだとも思うが
この程度の混み具合、ガヤー⇒ムガルサライ間の列車よりマシだとも思う。


途中で3人ほどバスを降りたので
運転手の横の補助席に座れと促されるが
そこにはひとつのイスに
既に徳井と眼鏡っ子がところ狭しと座っている。
もちろん徳井の彼女と思しき麦わら帽は
ちゃっかりちゃんとした席にひとりで座っている。
徳井と眼鏡っ子が15センチ四方の隙間を一生懸命捻り出してくれたので
「こんな隙間に座れるかいっっ!!」と、如何に相手が徳井と言えどもツッコメず
無理くり腰をねじり込む。



あぁ、ツライ。
ほぼ空気イスだ。
立ってたほうがマシ。



― 続 ―



昼飯。
いんげん、豚バラ、にんにく、赤ピーマンなどの炒め物。
辛く香ばしく、客が入っていない食堂の割りにバカウマだった。



漓江。



ヤンディでの一風景。