【12】 田螺


宿の正面玄関でタバコを吹かしながら雨宿り。
目の前を通り過ぎる雨が
太い線から細い糸に変わり
間もなくまばらな点に変わる。


地面を叩く音も聞こえてこない。
眼下を覗き込むと
もやりとした湯気が広がりだしていた。
人々も頭上を気にすることなく
通りを歩き始めている。


雨はほぼあがった。
晩飯を食いに行こう。



雨上がりの陽朔の町も良かった。
土の匂いがする。


ぼんやりと混ざり合う
赤や青、緑にオレンジ。
イルミネーションのような色とりどりの電球の光が
水滴で拡散され、幻想的な風景を演出している。


がやがやとした人々のざわめきと
電飾の光に満ちた大通りからひとつ左の小路に折れる。
ぶらぶらと歩いていると
水路にかかる橋の手前に湯気の立ち昇るレストランがあった。
木のテーブルを並べたこじんまりとしたオープンカフェだ。
息子ひとり娘ひとり、金髪の欧米人4人家族が
テーブルを囲んで楽しくやっている。
「青島 DRAFT BEER」と書かれた看板が目に付く。
教卓のような小型のビールサーバーが店先に置かれている。


青島(チンタオ)ビールの生ビール?!
そういえば海外で生ビールを飲んだことは無い。
大概、瓶ビール。インドネシアとここ中国で缶ビールを少し飲んだぐらいだ。
生ビールなんて、インドでなら逆に危なっかしくて避けるだろうが
ここ中国なら割と・・・


「ハロー!ここ空いてるわよ!」


ビールサーバーの前で悩んでいると
流暢な英語で声をかけられた。


振り向くと、笑顔の店員。
長い髪を後ろで束ねている。
茶色い瞳。目鼻立ちのくっきりした顔。
欧米人のような顔つきだ。
ハーフだろうか。
アメリカ人・・・いやインド人とのハーフかもしれない。
ともかくアーリア顔だ。
ジーンズにTシャツ、黒いエプロン
その黒いエプロンに右手を突っ込み
左手で欧米人家族の隣のテーブルを指差している。


「ほらここ。屋根があるから雨が降っても大丈夫よ。」


そう言いながらテーブルを布巾で拭き始める。


「チンタオのドラフトビールが飲めるの?」


中越しに気になっていたことを訊いてみる。


「ごらんのとおりよ。」


ハーフ娘は身体を起こし
大袈裟にビールサーバーに手のひらを向け
はにかむ。
手振りがまるでアメリカ人だ。


結局そのオープンエアーのレストランで晩飯を食うことにする。
写真付きのわかり易いメニューの1ページ目を見て
タニシの炒め物と茄子の炒め物を注文。
もちろん生ビールも頼む。


ハーフ娘が
目の前のサーバーからジョッキにビールを注ぎ
泡をこぼさないように慎重に席まで運んでくる。


うまい。
キンキンに冷えている。
チンタオの生ビールなんて日本でも飲んだことが無いが
海外で生ビールが飲めるとは思ってもいなかった。


続いてハーフ娘が
タニシの炒め物を運んでくる。


ひんやりとした冷気を放つビールとは対照的に
ほかほかの湯気を放つタニシ。
想像よりだいぶでかい。
タニシというよりエスカルゴだ。
ヤドカリが背負っているサイズよりでかい。


殻からほじくり出して
身を食ってみるとこれがまたうまい。


とんでもなくジューシーで
こってりと濃い味付けだ。
これはただの炒めタニシではない。
一度殻から出して刻んだタニシの身と
豚挽肉をあわせた餡を殻に詰め込んでいる。
このジューシーさはその餡の賜物で
タニシと豚肉が驚くほど相性が良いことも知る。
殻の中で蒸し焼きにされた餡は
旨味が凝縮されていて泥臭さを微塵も感じさせない。
油に熱せられたニンニクと唐辛子の香りが否が応でも食欲をそそる。
噂に聞く田螺醸という料理だ。


こりゃ米だ。
ビールも良いけど、こりゃ米でしょう。
ライスを追加注文。


ハーフ娘が
山盛りのご飯と共に
爪楊枝を持ってくる。


「これを使うといいわよ。」

なるほど。
確かに箸より爪楊枝のほうが良い。


爪楊枝を殻につっこみ
身を取り出そうとするが
ぽろぽろと柔らかい餡が崩れ意外とうまくいかない。


見かねたハーフ娘が
ジェスチャーを交えてレクチャーしてくれる。


「そうじゃないわ。
 こう殻をもって。爪楊枝を刺して、ゾッと吸うのよ。
 こう、ゾッと。」


なるほど、こうか?


「もっとよ。もっと吸うのよ。ゾッと。」


蕎麦をすすることを外国人に教えるように
タニシの食べ方を教わる。


確かにこうやって吸って食うと格段にうまい。
餡とタレが口内で絶妙に混ざり合う。
蕎麦はすすれ。
ミールスは手で食え。
タニシは、吸い込むのだ。



そうやってタニシを吸い込み
ご飯をがっつき
ビールで喉を潤す。


ふと視線を感じる。
右手、レジのほうを向くと
黒いミニのワンピースにエプロン姿の
黒髪娘が身体を斜に構え
横目でちらちらこちらを見ている。
眉の高さでまっすぐに切りそろえたストレートヘアーのミディアムロング。
丸みを帯びた輪郭に長い睫。
原宿にでもいそうな
ある意味実に日本人っぽい顔立ちだ。
ハーフと和風
実に対照的な看板娘2人だと思う。


原宿娘は視線があうと恥ずかしそうに目をそらす。
意外と日本人旅行者は珍しいのかもしれない。


タニシとご飯をたいらげると
茄子を半分ほど残していたが腹いっぱいになってきた。
ビールも3杯目だ。


一息つこうとタバコに火をつける。
水路から水の音が聞こえる。
左手の小路脇には綿菓子屋が店を構え
日本と変わらず木の棒に綿を巻きつけている。


「ホェア アーユーフロム?!」


ふいに声をかけられ驚き
視線を正面に戻す。
目の前には笑顔の原宿娘。
テーブルに両手を付き身を乗り出している。


「えっジャパンだけど・・・。」


原宿娘は眼を丸くする。


「やっぱり日本人ね!私、日本って大好きよ!
 日本は中国語だとルーベンって言うのよ。」


原宿娘は満面の笑顔でそれだけ言って
トタトタとハーフ娘の方へ掛けて行った。



3杯目のビールを飲み干し
ハーフ娘にお会計を頼む。


お会計を済まし席を立つと
原宿娘もトタトタと駆け寄ってきてハーフ娘の隣に並ぶ。
ハーフ娘が言う。


「シーユー!トゥモロー。」


トゥモロー・・・。


「いや、明日はもう桂林に帰っちゃうんだ。」


ハーフ娘は少し眉根をしぼめる。
「そうなんだ・・・。桂林のあとはどこに行くの?」


「桂林のあとは、広州に戻って・・・あとは日本かな。」


「オーケー。じゃ残りの中国も楽しんでね。」


「サンキュー。サイツェン(再見)!」


「サイツェン(また会いましょう)!」


2人に手を振り
店をあとにする。



宿への帰り道
ふと思う。


そうか、明日は桂林に戻るのだ。
そして明日の夜に列車に乗り
明後日には広州に戻る。
その翌日には日本。


もう戻るだけだ。


旅の終わりが近いことを実感する。


夜の西街は人で溢れ
屋台から煙が立ち昇り
ディスコから低いベースの音が漏れていた。


俺は露店で「純生」の缶ビールを買い
宿に戻った。



― 続 ―


チンタオの生中。



タニシ。
今回の旅で最もうまかったもののひとつ。
たぶん日本じゃ食えないんだろうなぁ・・・。
これを食うためだけに中国に行くのもおススメ。



西街。
どうでもいいがネーミングセンスが抜群だと思う。