【11】自転車的小旅行


まるで水墨画の世界だ。


無機質なアスファルトの道路の脇には
畑や水田が広がり
その向こうに細長く丸い山が連なる。
陽光をはじいた稲の緑と
山々の深いグリーン。
時に橋がかかり
眼下にゆったりと川が流れ
イカダが浮かぶ。
川沿いに並ぶ観光客用のカラフルなパラソルも
程よい挿し色。
この水墨画の世界は
鮮やかに色づいている。


この町は
サイクリングをするためにあるのだろう。


刺すような日差しに吹き出る汗も
吹き抜ける風ですぐに乾く。


時折、思い出したように風景を写真に収める以外は
ほとんどペダルを漕ぎっぱなしだ。
屋久島を全力疾走した2年前のように
俺は時間に追われていた。
自転車返却のタイムリミットは5時。
なんだかんだで自転車をレンタルした時点で
1時間ちょっとしか持ち時間は無かった。


尚もペダルを漕ぎ続ける。


ゆっくりと景色を楽しむのももちろん良いが
今はただただ前に進むことに快感を覚えていた。
イクラーズ・ハイとでも言うか。


進めば進むほど
新しい世界が視界に飛び込んできた。
適当なところで引き返さないと、とは思うが
もう少し、もう少しだけ進んでみたいと考え直す。



引き返すきっかけを逃し続け
ひたすらにペダルを漕ぎ続けていると
道路脇に「月亮山」と書かれた大きな看板が出ているのが眼に留まった。


自転車を止める。


この山だらけのサイクリングロードで
この「月亮山」はよほど特別な山なのだろう。
気になってリュックからガイドブックを取り出し
ページを捲ってみる。
「月亮山」・・・山にぽっかりと穴が空いている。
その穴を月に見立てているらしい。
陽朔の南約10キロ・・・。
もう10キロも進んだのか。


右手の大きな山を仰ぎ見ると
確かに山頂付近に
ぽっかりと丸い穴が空いている。
いや、空いている気がする。
穴が、レストランの屋根にほとんど隠れているのだ。
目の前の石段を少し上ったところにある
カントリー・ハウスのようなオープン・エアーのレストラン。
こいつのせいで良く見えない。
その脇には山頂近くまで上る道も用意されているようだが
もちろん今から歩いて山に登っている時間は無い。
自転車を再び走らせ少し先まで行ってみるが
今度は角度が悪くなって良く見えない。
仕方なくレストランの前まで引き返す。


自転車をレストランの前に止め
階段を上る。
こんな階段の上の小高い丘に
レストランなんか作ってるから山が隠れてしまうのだ。
20段ほどの石段を半分ほど上ったところで
写真を1枚。
しかし、いまいちだ。
つか、レストラン、邪魔。
やはりもう少し上らないとダメか。


「なにあんた?!お客さん?!」


訛った英語だ。
声のしたほう、右手上方に眼を向けると
両手を腰に添えた
週末は布団でも叩きそうな太ったおばちゃんが立っている。


飯を食う気分じゃない。
ペプシもコーヒーも
今はいらない。


「写真だけ撮らせてくれませんか?」


英語で返す。


「写真だけなら2元よ!そこに書いてあるでしょ!」


指差す方を振り向く。
そこには木の看板があり
手書きで「PHOTO 2元」と書いてある。


「2元?写真撮るのに金取るの?ノーノー。」


大袈裟にジェスチャーを振る舞い
登山道とは反対側、階段の中ほどにあった砂利の敷かれた道を進んでみる。


「そっちには何も無いわよ!」


「ノープロブレム。」


構わず進んではみたものの
おっしゃるとおり、何もない。ただの畑だ。
ここからも穴は角度が悪く良く見えない。


引き返したところで
また先程のおばちゃんが
したり顔で声をかける。


「だから2元よ!ここじゃないと良い写真はとれないわよあんた!」


「ノー!サンキュー!」


半ば反射的に「ノー」と言ってしまう。


おばちゃんはあきれたように溜息を吐いたが
俺は踵を返し
そのまま階段を下りる。



止めてあった自転車に鍵を差し込む。
遠くからおばちゃんがまだ何かを叫んでいる。
その顔は少し心配しているようにも見える。


「オーケーオーケー。シェーシェー!バーイ!」


今回の旅は
別に貧乏旅行ではない。
300元の宿に泊まるのに
わずか2元の写真代をケチる俺がいる。
そのことが何故かおかしくなって
急に妙な満足感が満ちてくる。
・・・ここらで潮時かな。
時計が無いから時間がわからないが
そろそろ日も暮れ始めてきたような気もする。
小さな自転車の旅もここで終わりだ。
戻ろう。


この「月亮山」麓のレストランを折り返し地点として
来た道を引き返す。



陽朔の町に戻ってきたときには
陽も翳っていた。


タンクトップのおっちゃんに自転車を返し
デポジットの100元を返してもらう。


「明日も乗るか?」


中国語だったが
そう言われた気がした。


「明日はもう桂林に戻るんだ。」
と片言の英語を返す。


「そうか・・・。グッドラック!」


グッドラックは英語だった。



おっちゃんと別れ
一旦宿に戻り
シャワーを浴びる。


汗を洗い流した後は腹が減ってきた。


この町の夜は楽しそうだ。
旅の勘である。


洗濯物はもう充分に乾いている。
服を着替え
階段を駆け下り
宿の外に出る。



・・・あれ?


視界を滑り落ちる線の群れ。
地面を叩く小気味良い音。



おい!?
抜群に雨じゃねぇか!




― 続 ―




マイマシン。
サドルは固い。