【10】 陽朔


車内がざわざわとうごめきだしたのを
希薄な意識の上で察し
眼を醒ました。
右手の通路を
乗客達がリュックを座席にこすらせながら歩き
前方の出口に向かっている。
いつのまにか眠っているうちに
いつのまにかバスは陽朔(ヤンシャオ)に到着したようだ。


桂林の町を発ったのは1時間前。
朝飯を食っていたのは2時間前だった。
わずか2分。
流れ作業のように桂林ビーフンをたいらげた上海男は
まだ桂林ビーフンを味わっている俺に
しきりにお茶屋を勧めてきた。
「この近くに有名なお茶屋さんがアリマス!
 とても安くて良いお茶です。
 飲むコトもデキマス!
 朝ごはんを食べたらこのあと一緒にお茶屋さんに行きマセンカ?
 ひとりだと寂しいのデス。」
その誘い方がいかにも胡散臭く
インド人のニヤニヤした顔を思い出した俺は
そのお誘いを固辞。
あーすいません。そろそろチェックアウトの時間だし
 このあとヤンシャオに行くんです。」


「ソウデスカ、残念です・・・。
 それじゃぁ明日の夜一緒にご飯を食べマショウ!」


「はいはーい。もし縁があればまた会いましょう!」


上海男は今日は龍勝に行くと言っていた。
棚田が広がる緑一色の山村。
それも確かに魅力的だったが
俺は山よりも河を選び、陽朔に来た。
話が本当なら彼もそろそろ龍勝に着いたころだろうか。


リュックを担ぎ
乗客の一番最後にバスを降りる。



まずはいつもどおり宿探しだ。


バス停近くに綺麗なホテルがあった。
しかし、あっさり門前払い。
今日はフルらしい。
ロビーに欧米人が溢れていたことを考えると
意外とこの町は観光客が多いのかもしれない。


そのホテルの前に延びるのは車の往来が激しい道路。
地図を見るとこの道路は蟠桃路というらしい。
この先に西街と呼ばれる
町の中心であり観光地でもあるメインストリートがあるようだった。
そこまで行けば別の宿もあるだろう。


肌を刺す日差し。
道路脇を5分ほど歩くと
その蟠桃路と交差するように
石畳の大きな通りが左手に延びていた。
その通りは車が通れないようになっているらしく
人々が道の真ん中を行き来している。
通りの脇には色とりどりのパラソルや木のテーブルが並ぶ。
リゾート地のような雰囲気だ。
さらにその脇に並ぶ漢字の看板を掲げた白壁の建物群が
温泉街のような趣きも醸し出している。
中国色を色濃く残した景観の
欧米人が行き交うメインストリート。
それが西街だった。


西街と蟠桃路との交差点
つまり、西街の入り口にあたる場所に
4階建ての建物が交差点の角に嵌め込まれたように建っていた。
白い壁と対照的に黒くなだらかな屋根。
壁には「陽朔麗景假日賓館」の赤い文字。
見覚えがある。
ガイドブックを開く。
どうやら三ツ星ホテルらしい。
料金はシングルで350元、ツインもなぜか同じく350元。
どちらにしろ5000円弱。
インドなら手を出さないが
中国ではお得だと感じる。
何しろ場所が良い。
昨日の宿の3倍はするが
ひとまずロビーに入り
部屋の空きを尋ねてみる。


残念ながらシングルルームはフル。
だがツインなら空いていると言う。
ツインも同じ料金ならむしろ願ったり。
フロントのお姉さんが
電卓を叩いて料金を示してくれる。
240元。
あれ?なぜか安くなっている。
三ツ星ホテルに240元で泊まれるなら
ノープロブレムだ。
喜んでチェックインの手続きを済ます。
桂林でもそうだったが
値切ってもいないのに
ガイドブックに載せられた料金より
安く泊まれている。
こんな経験は今まで無い。


階段を上った2階の部屋には大きなベッドが2つ。
もちろんエアコンも効いているし
バスルームも綺麗に掃除されている。
当たり前のようにホットシャワー。
アメニティグッズもついている。


こんな綺麗な部屋に似つかわしくなかったが
せっかく洗面台が綺麗だったので
そこで洗濯をし
洗濯物を窓際にハンガーで吊るしてから
宿を出た。


ぶらぶらと西街をうろつく。
石畳の道の両脇に並ぶ店はすべて白壁。
黒い屋根と、窓枠やベランダの赤茶けた木の色が、その白に映える。
ほとんどが2階建てで1階部分が食堂やカフェや土産物屋。
街並みは中国色を残したヨーロッパ風の温泉街。
第一印象と変わらず西街はまさにそんな町だった。


遅めの昼食はその辺にあったビートルズが流れるカフェで
鉄板焼の豆腐料理。


腹を満たしたあとも引き続き
町をぶらぶら。


歩いているだけでも楽しくなるような
賑やかな町並みをしばらく散策していると
気になる光景に出くわした。


大通りは左側に丸く折れている。
その大通りから右に枝分かれした細い路地。
自転車が10台ほど並べられている。
その横には日に焼けたおじさんが
木の箱に腰掛けている。
ちょうどその細い路地は
隣の建物のせいで日陰になっていて
なにか陰鬱で怪しい印象を受けた。


これはもしや・・・。


「レンタサイクル?」


おじさんに声をかけてみる。
タンクトップを着たその痩せたおじさんは
木箱に腰掛けたまま首を傾げた。


英語は通じないらしい。
いや、そもそも「レンタサイクル」は英語じゃないのかもしれないが。


うーん。やはり言葉は通じないか・・・。
と、なると・・・ジェスチャー
おもむろに自転車のひとつを
持ち出す素振りを見せてみる。


おじさんは慌てて木箱から立ち上がる。
「ノーノーノーノー!」


そしておじさんは
首から提げた袋から
ぼろぼろになったカードを取り出し
俺に差し出した。


カードには英語でサイクル、ワンデー、20元と書いてある。


おぉ、やはりレンタサイクルのようだ。
ぜひ乗ってみたい。


おじさんに20元を渡す。


「パスポート。」


パスポート?
ホテルでもないのに外国人確認をするのか?
とりあえずパスポートも渡してみる。


おじさんは受け取ったパスポートをぱらぱらとめくって
それを首から提げた袋に仕舞う。


「待て待てぃ!それは大事な大事な俺のパスポートだ!」


デポジット!」


デポジット?!
保証金か?
簡単な英語はしゃべるらしい。
そりゃあ自転車をそのまま盗まれたらたまったもんじゃない。
保証金を預かりたい気持ちもわかる。
ただ、俺もパスポートをそのまま盗まれたらたまったもんじゃない。
パスポートを慌てて奪い返す。


デポジット!」


おっさんは再び先程のぼろぼろのカードを俺に差し出す。


なになに・・・
デポジット、パスポート オア 100元。
なるほど、これなら迷うことなく100元だ。
デポジットはもちろん後から還ってくるものだが
最悪、騙されて還ってこなかった場合
パスポートは痛すぎる。


おじさんにさらに100元を渡す。


おじさんは渡した100元札を陽の光に透かしたあと
首から提げた袋に仕舞い
代わりに自転車のキーを渡してくれた。
続いて文字盤のガラスが割れた腕時計を差し出し
「5」を指差す。


5時までに帰って来い、と。


「オーケー。シェーシェー!」


鍵穴にキーを挿し鍵を開ける。
サドルにまたがる。
うん、低い。


「これもうちょっと上げてくれない?」


身振りを交えて日本語でおじさんに頼む。


おじさんは理解してくれたらしく
サドルを高く上げてくれる。


再びサドルにまたがる。
ちょうど良い高さだ。


「再見(サイツェン)!」


身体をひねっておじさんに手を振る。
おじさんが笑顔で手を振り返す。


右足からペダルを踏む。
ゆっくりと自転車が走り出す。


心地よい風が生まれる。
鼓動が早くなる。


そうだった。
思い出した。
俺は自転車が好きだったんだ。



― 続 ―



西街入り口。
この通りは奥へ行けば行くほど
楽しくなってくる。



飯。
麻婆豆腐っぽい味付けだが
外国人向けなのかマイルドでオシャレな味。
トマトも入っている。



「印度菜」の看板。
インド料理屋のようだったが
メニューにはビリヤーニーという名の
ケチャップライスっぽいものが載っていてがっかり。
カルカッタでも中華料理屋に行ったが
やはりインドと中国は分かり合えないのだろうと思う。