【9】 米粉

「ワタシはキュウカでリョコウに来マシタ。
 道がワカラナイので中国人かと思ってアナタに声をかけマシタ。
 アナタがニホンジンとは驚きマシタ!
 ワタシは実は上海の日本企業で働いていマス。
 ニホンジンは皆トモダチです!」


「はぁ・・・。」


土曜日の朝。
たくさんの人々が行き交う桂林の路地で
ピンポイントで俺に接触してきた目の前の中国人。
日本企業勤務だから日本語がしゃべれる?
休暇で偶々旅行に来ている?
上海?万博開催中のこのタイミング、
上海を知らない日本人はいないだろう。
設定が出来すぎちゃいないか?


「アナタは今ナニをしているのデスか?」


「あぁ朝ごはんを食べようと思って。」


「朝ごはんデスか!ちょうどワタシもご飯を食べようと思ってマシタ!
 一緒に食べマショウ!!
 この近くに有名な桂林ビーフンのお店があるハズです!」


俺の返事は待たず、
上海の男は通りの向かいで掃除をしていたおばちゃんに声をかけに行く。
店の場所でも訊くのだろう。
良く考えれば
そもそも辺りをキョロキョロしながら歩いている俺に道を訊くより
最初からそのおばちゃんに声をかけたほうが確実だったのではないか。
掃除のおばちゃんはまず間違いなく地元民である。
いよいよ怪しい・・・。


「アッチのほうみたいです!」


上海の男は振り向いて
通りの奥を指差した。


まぁいいか。


「オーケー。行きましょう。」


この国では食欲が不安を凌駕する。


日本語で取り留めの無い会話を流しながら
5分ほど通りを奥に進む。
ふいに上海男が右に曲がる。
男の動きを眼で追いかけると
そこにはお目当てのビーフン店。
男はまるで何度も通っているかのように
すっと入り口の前の行列に歩み寄っていく。
先程、店の場所を訊いていたとは思えないほど滑らかな動きだ。


看板には「崇善米粉店」の文字。
確かガイドブックに載っていた店だ。
見た目は至って普通の食堂。
店の入り口に長机が置かれ店員が2人立っている。
列に並んでいる他の客の動きを見るに
そこで注文を行い食券をもらうようだ。


列はすぐに流れ、我々の順番が来た。
長机の上には一枚紙のメニュー。


「好きな量を選んでお金を払いマス。」


上海男が常連客のようにメニューの見方を教えてくれる。
なるほど。メニューを覗くと100g、150gといった麺の量の横にそれぞれ料金が書かれている。
一番少ない量だとわずか2元。
安い!約30円だ。


とりあえず朝飯ということで100グラムを注文。
どうせならトッピングもしたい。
ガイドブックに書かれていた「味付け湯葉」のトッピングをぜひしたい。
おそらく麺のグラム数のコーナーの横にずらっと並んでいるのが
トッピングメニューなのだろうが・・・
こちらはどの漢字がナニにあたるのかさっぱりわからない。
頼みの上海男はさっさと注文を済ませ
店内に入ってしまっている。
後ろの列も混み始めてきた。


少し焦りながら
メニューに書かれた漢字を流し見る。


右下の方に「豆」の文字。
前後の漢字の意味は不明だが
豆系のなにかだろう。
豆・・・豆乳・・・湯葉・・・湯葉!!
これだ!これが味付け湯葉に違いない。


その謎の豆メニューを注文。
ビーフンの分とあわせて2枚の食券をもらい
料金を支払って俺も店内へ。


上海男は既にカウンターで桂林ビーフンを受け取っているところだった。
俺もカウンターへ。
ビーフンの赤い食券をカウンターに差し出すと
銀色の食器に麺が盛られ
タレがかけられる。
次に大きなチャーシューがまな板にのせられ
それが中華包丁でざくざくと刻まれ麺の上にのっけられる。
刻んだ青ネギがのっけられ
刻んだ青唐辛子がのっけられ
揚げたナッツがまぶされる。
桂林ビーフンの完成。


これにさらに味付け湯葉をトッピングだ!
ここぞとばかりに謎の豆系メニューの黄色の食券を差し出す。


「それはあっちだ!」


厨房の男は隣のカウンターを指差す。


え?トッピングは隣のカウンターなの?
目前のカウンターはビーフンの製造だけに特化しているのだろうか。
お盆に桂林ビーフンをのせ
隣のカウンターへ。


黄色の食券を差し出す。
隣のカウンターのおばちゃんは
右手でそれを受け取り
返す左手で
封がされたプラスチックのコップを
俺のお盆に乗せる。


コップの中身は少し黄みがかった乳白色の・・・液体?


なんだこれは?


コップを傾ける。
やはり液体だ。


これは・・・
豆乳?!


確かに豆系ではある・・・。


・・・湯葉まではあと1歩届かずか・・・。


桂林ビーフンと豆乳が乗ったお盆を抱えて
上海男の向かいの席に着く。


上海男が前かがみで麺をすすりながら
上目遣いで訊ねる。


「豆乳スキですか?確かに豆乳は栄養がたくさんアリマス。」


「・・・いや、そういうつもりじゃなかったんですけどね・・・。」





― 続 ―





桂林米粉ケイリンビーフン)は本当に美味い。
米麺のさっぱりした味に
濃い口のピリ辛ダレが良くあうし
具にも無駄がない。
豆乳はいたって普通。