【3】広州

高く響くエンジン音。
鉄を叩く音。
鉄がぶつかる音。
鉄に穴をあける音。
男達の掛け声。
いわゆる工事の音だ。
それが窓越しに、意識越しにぼんやりと聞こえる。
朝9時。
眼を覚ました。
冷房と掛け布団のおかげで
驚くほどぐっすり眠れた気がする。
部屋は未だ暗い。
カーテンを閉め切っているせいだ。
枕もとのポカリを口に含み
窓際へと移動する。
カーテンを開け放つと
眼がくらむほどの強烈な日差しに遅れて
巨大なビル群が視界に飛び込んできた。
都会の朝だ。


昨夜、チェックアウト時間を確認すべく
室内を物色したところ実に有益な情報を手に入れることが出来た。
どうやらホテル内の施設のひとつに
旅行代理店があるらしい。
もしかしたら列車のチケットが予約できるかもしれない。
だとすればラッキーだ。
少々手数料を払う羽目になろうとも
言葉が確実に通じない駅構内で
行列に並んだ挙句、思い通りのチケットがとれないより全然ましだ。



備え付けのスリッパを履いたまま
1階に下りて
ホテル内を散策してみる。


昨夜はあまり気に留まらなかったが
かなり大きなホテルのようだ。


ホテル内を通路が走り
その脇に様々な店舗が並ぶ。
レストランがあり
土産物屋があり
ブティックまである。
その一角に英語で「トラベルセンター」と書かれた看板を掲げた店舗があった。


入り口のガラス戸は開け放しだ。
店内を覗くと若い娘が3人。
だらだらと暑そうにだべっている。
客か?違うのか?
話している内容が
営業なのか世間話なのか判別出来ない俺は
とりあえずその3人の後ろに突っ立ってみる。
すると後を向いていた
つまりはカウンターの方向を向いて座っていた娘が
背後の俺に気付き
気まずそうに席を立った。
どうやら客ではなかったらしい。


「ニーハオ!」


挨拶をしながらカウンターに近寄る。
俺が外国人だと気付いたカウンターの娘2人は
少し身構えたようにみえた。


「桂林!」


目的地を告げてみる。
昨夜、俺は次の目的地を広西チワン族自治区の桂林に定めた。
山水画のような景観を持つ地方都市。
桂林ビーフンやビール魚など特産の飯類も旨そうだったし
寝台列車に乗って一晩、広州からの距離もちょうどいい。
なにより河があり
近隣の陽朔という町にも惹かれた。


しかし、案の定カウンターの娘は眉をしかめた。
やはり言葉が通じない。


こういうときはガイドブックだ。
空港でもそれが奏功している。
ガイドブックの桂林のページを開き
カウンターに差し出す。


身を乗り出してガイドブックを覗き込む2人の娘。


「あー、グワィリン!!」


右側のロングヘアーの娘が
顔を上げて応えた。


なるほど。桂林はグワィリンと発音するのか。


「イエス!」


「エアプレイン?」


流暢ではないが英語も使うようだ。


「ノー。トレイン。」


「それならここじゃないわ。あっちよ!」


言葉が聞き取れた訳ではないが
彼女は首を振ったあとに
向かいの店舗を指差した。
多分そういうことだろう。


「サンキュー!」


英語でお礼を言って席を立つ。


今度は向かいの店舗。
カウンターは4つ。
丸い穴が空いたプラスチックのついたて。
駅の窓口に似ている。
それぞれのカウンターの上部には
それぞれ異なった漢字で何か書かれている。


列車チケットはどの窓口だ?
ここでも突っ立って迷っていると
先程の娘がやってきて
「あそこの窓口よ!」
と指差し教えてくれた。


受付のお姉さんに
「ニーハオ!グワィリン!トゥナイト!」
と目的地を告げる。


「オーケー。」


お姉さんは笑顔で頷いて
パソコンのキーボードを叩き出した。
今度はちゃんと通じたようだ。


しかしすぐに受付のお姉さんの顔が曇る。
彼女はパソコンのモニターをこちらに向けた。
画面に出発地広州と目的地桂林の文字。
それに日付と出発時間と到着時間。そして「×」。
インドの列車駅で使用されている画面に似ている。
すぐに満席であることは理解できた。


「オーケー。トゥモロー!」


翌日の便を提案。
しかし結果は同じ。
やはりFULLのようだ。


だが、代替案は用意してある。
路線図もある程度昨夜頭に叩き込んでおいた。


「ナンネイ!」


伝わるか?


受付のお姉さんは一瞬小首を傾げたが
「・・・ナンニン?」
と聞き返した。


なるほど。南寧はナンニンか。
少し発音のコツが分かってきた気がする。
「イエス!プリーズ!!」


ナンニンこと南寧行きの列車は空いていた。
今夜発だ。
すかさず予約してもらう。
予定とはずれてしまったが
取り急ぎ先には進めることになった。
まずは西へ。
南寧から東行きの列車に乗れば
桂林にも行けるはずだ。


チケットは191元。
この料金なら恐らく手数料は驚くほど安い。
もしかしたら無いのかもしれない。


191元を支払い
今夜発、南寧行き寝台車のチケットを受け取る。
「ンゴイッ!」
最後に、憶えたばかりの広東語でありがとうと言うと
彼女はにっこり微笑んだ。


そろそろチェックアウトの時間だ。
駅で並ばずして列車のチケットが取れたことは大きい。
午前中の自身の動きに充分満足した俺は
部屋に戻って荷物をまとめ
チェックアウト。


深夜に到着しての翌朝の出発。
この初日の宿を後にする時の感覚。
何度か経験した感覚だが
やはり良い。
旅は成田からではなく
2日目から始まるのだ。



冷房の効いたホテル内を出た途端
鋭い日差しが突き刺さり眼を細める。
暑い。
やはり中国といっても
ここ広州はベトナムに近い南国。
都市化が進んでいる分
アスファルトが返す熱が煩わしい。



まずは飯か。
記念すべき食の広州、一食目だ。


ぶらぶらと歩いているうちに
そこそこ人が入っている食堂があったため
ふらっと入ってみる。


空いているテーブルに座る。
店員が水を運んできて
そのまま去っていく。


テーブルの上には下敷きのようなメニュー。


さて・・・
当然だがメニューに書かれているのは
全て漢字だ。
しかも日本のものとは微妙に違う。


どれが何かわかんねぇ・・・。
沢木耕太郎深夜特急
なんとなく漢字から意味が読み取れたと書いていたが
これは思いのほか難関だ。


まずはメニューの解読から始める。
種類は大きく3つのようだ。
この「湯」という漢字の「日」の部分を無くした様な漢字
これは「湯」系、スープだろうか。
「面」・・・やけに簡単になっているが
「麺」と考えていいだろう。
「米」の下に「大」という文字
麺でもなければ残るは米飯系だろう。


「面」かな・・・。
「面」の項目を上から流し読む。
「排骨銀**面」というメニューが眼に留まる。
「排骨」・・・これは知っている。
「排骨」は確か豚のあばら肉。要はスペアリブのはずだ。
「銀」が何を表すのかは分からないし
その後ろの漢字に至っては読み方も意味も不明。
ただその後ろの漢字は例の「湯」に似た漢字
そして最後の「面」。
「湯」に「面」とくればラーメン、俗に言うパイコー麺に違いない。


店員を呼ぶ。


「これ!」


メニューを指差しながらおもくそ日本語で注文。


初老の店員は
店の奥のレジを指差しワァワァ言う。


ん。なるほど食券制なわけね。


レジで同じようにメニューを指差し
料金を支払う。
13元。200円弱か。安い。


食券を店員に渡して
席で待っていると10分ほどで湯気の沸き立つどんぶりが運ばれてきた。
やはりラーメンだった。


スープはあっさりとした醤油系。
もちろん日本で使うような醤油ではないのだろうが。
面は細麺。小麦の香りが強い。
具は青菜と排骨。
ほとんど骨ばかりの排骨だったが
そのこってりとした脂が
あっさりしたスープにアクセントを加え
油分に良くなじむすっきりした香りの青菜が時に箸休めにもなる。
テーブルに置かれた
自家製と思われる豆板醤も素敵だった。


いや、うまい。
一食目にして大正解だと思う。



冷房の無い店内で
汗だくになりながらスープをすする。



店を出た後
世界が涼しくなる。


風が自分のためにあるように思える。


ポケットからタバコを取り出し
くわえ
火をつける。


煙を吐く。


吐き出した煙が
空に吸い込まれるように溶ける。



これがいいんだ。




― 続 ―




パイコー麺。・・・であろう。
とにかくこの国は青菜を使いすぎだが
いかんせんうまい。
テーブルに置かれた豆板醤は
店ごとに味も違い
それだけで店を選ぶ楽しみがある。
その意味でインドのピックルや
インドネシアのサンバルを思い出した。