【2】第一夜


深夜23時。


未だ宿は無し。


予想より大分遅くなってしまった。
誤算だ。
さすがにこの時間に見知らぬ街、いや国を彷徨いたくない。
もうひとつの誤算はバスが到着した場所が
「意外に都市部」だったこと。
たくさんの車が行き交う大きな道路、その脇に並ぶ街路灯、
ショッピングコンプレックス、高層ビル、
ケンタッキーフライドチキン、その周りにたむろする若者達。
夜の新宿のように
明るすぎ、人が多すぎるのだ。
宿の明かりを探して歩くことが出来ない。
文字通り異国の地に放り出された状態で
方向感覚すら失ってしまいそうになる。


かといって野宿は嫌だ。
今から深夜バスに乗って寝るのもやっぱり嫌だ。
空港まで戻るなんてもってのほか。


地図の中の自分の位置だけは見失わないように
慎重に辺りを散策してみる。


まず地面がコンクリートなのが気に入らない。
深夜に宿を探すときはせめて土の上を歩きたい。
コンクリートの固さと冷たさは
不安を倍化させる。


宿らしきものは見つからなかったが
左手に並んだ明かりの漏れる店舗のひとつに
見慣れた看板がぶら下がっていた。
「7」の文字。
セブンイレブンだ!


ひとまず水が必要だ。
ここで買っておこう。


店内は意外と狭かった。
入ってすぐ右手にレジがあり
一番奥に冷蔵庫が見えた。


冷蔵庫に直行。


冷蔵庫は日本のコンビニと変わりない。
透明なガラス戸の向こうに
様々な商品が並んでいる。
ミネラルウォーターがある。ポカリがある。ミニッツメイドまである。


なんだこれ?
水が一番高い。
ポカリのほうが安いじゃねぇか。


ポカリを冷蔵庫から取り出す。


チンタオビールも発見。
しかも水より安いじゃねぇか。


チンタオビールにも手をかけたとき
背後から声が聞こえた。


セブンイレブンはねー、ちゃんとどれが売れてるかデータを細かく取ってるんだよねー。
 そのデータに基づいて商品を揃えるから強いの。置く場所も考えてるし。わかる?
 中国の企業もこういうところを見習ってさー・・・」


日本語だ!
間違いなく日本語だ!


ポカリとチンタオを小脇に抱え
声が聞こえるほう
背後の棚の裏に回りこむ。


そこには白髪交じりのショートヘアーに銀縁の眼鏡が似合うナイスミドルと
小柄な若い女性がいた。
ふたりとも部屋着のようなリラックスした格好だ。
ナイスミドルは棚の商品を指差しながら先程の話を隣の小柄な女性に続けている。


声をかけない手は無い。


「すいません。ちょっとお伺いしたいのですが・・・」


「えっ?」


ナイスミドルが驚いたように振り返る。


「あの・・・この辺に安いホテル無いですか?」


「ホテル?!」


ミドルは困惑しているようだ。


「わたしたちはこの隣のホテルに泊まってます。」


隣の女性が代わりに答える。
どうやら中国人のようだがかなり流暢な日本語だ。


「あぁーなに君?旅行?今着いたの?
 俺らのホテルなら確かにこっから近いよ。隣じゃねぇけど。
 ここ出て左に歩いていけばすぐだ。」


ミドルも状況を理解したようだ。


「ホテルとってないって危ねぇなぁ。広州はデンジャラスシティだよ?はははっ。」


確かにミドルの言うとおりここ広州は
異国の怖さというより都市としての怖さがあるように思える。


「そのホテルの料金っていくらぐらいですか?」


「328元ぐらいです。ちょっと汚いですが。」


隣の中国娘がまた答える。
ヒアリング力も極めて高いようだ。


「少々汚いのなんて大丈夫だって。それより安い方がいいよなぁ。」


ミドルは笑みを浮かべ中国娘と俺を交互に見ながら言った。
仰るとおり。
少々汚いのはまったくもってノープロブレム。
今は宿に泊まることが大事。
328元は・・・およそ5000円か・・・。
決して安くは無いが
已むを得ないだろう。


「ありがとうございます!
 そこ行ってみます!」


お礼を言って立ち去ろうとする俺を
中国娘が止める。


「あ、ちょっと待っててください。
 わたしたち案内します。」


「えっ、あ・・・りがとうございます。」


驚くほど親切だ。


それから俺はレジで会計を済ませ
店の外で2人を待つ。


「お待たせしました。」


すぐにお湯の入ったカップラーメンを持って
2人が店の外に出てきた。


カップラーメンを抱えた男女と
リュックサックを背負ってビールとポカリを抱えた男が
夜の広州を歩く。


ホテルはすぐ傍だった。


中国娘はカップラーメンを抱えたまま
スタスタとフロントへ。
中国語で従業員達と
言葉を交わし始める。


フロントと2、3言葉を交わして
振り返った彼女は
眉間に皺を寄せ
申し訳無さそうに言った。


「ごめんなさい。今週はこの近くで展示会があって部屋がいっぱいみたいです。
 今、空いているのは一番高い部屋だけみたいです。
 料金は408元しちゃいます。
 この隣に4ツ星のホテルがあるのでそっちは安い部屋あるかもしれませんが・・・。」


「バカ。4ツ星だともっと高ぇよ。」


ミドルはカップラーメンの伸び具合が気になっているようにも見える。


「あ、全然大丈夫です。もう遅いしここに泊まります。」


「ごめんなさい。ちょっと高くなっちゃいました。
 でもきっと窓からの景色が綺麗です。」


申し訳無さそうに頭を下げて謝る中国娘。
なんて良い娘なんだ!


それから中国娘はチェックインの手続きまで全てやってくれ
俺は料金を支払うだけで部屋のキーを受け取れた。


3人でエレベーターに乗り込む。
俺は20階。
ミドルは15階、中国娘は21階のボタンを押した。


15階でミドルが降りる。
お礼を言うと
ミドルは
「おぅ!こっから気をつけてな!」
と爽やかに言った。
そして振り向きざま
中国娘にも
「あ、ヨウちゃん!明日6時半な!」
と言い、カップラーメンを大事そうに抱えながら
自室へと向かって歩いていった。
この娘はヨウという名前なのだろうか。


エレベーターのドアを閉める。


ドアを閉めると
ヨウちゃんが小首をかしげて尋ねてきた。
「あれ?なんか言ってましたよね?」


「6時半って言ってましたよ。」


「6時半?!わーーー。」


眼を丸くするヨウちゃん。


「お仕事ですか?」


「そうです。大変です。」


そう言って彼女ははにかんだ。


20階で俺も降りる。


「ありがとう!シェーシェー!」
とお礼を言うと
ヨウちゃんは
「おやすみなさい。」
と言い丁寧にお辞儀をした。



部屋は充分すぎるほど綺麗だった。



良い旅になりそうな気がした。



― 続 ―



4度のインドと2度のインドネシアを共に過ごしたリュックは勇退
今回の旅から新リュック。
高さポカリ2個分の25リッター。



窓からの夜景。
15万ドルくらいはあるだろうか。