【1】広州上陸


夢の中、聞き慣れない声が割り込んできて
眼を醒ました。


機内はわずかに揺れている。
離陸時に寝てしまう癖がある俺は
どうやら今回も例に漏れず寝てしまったらしい。


前方が騒がしい。


眠りを妨げた声の主は彼のようだ。
40代ぐらいの男が席から立ち上がり
唾を飛ばしながら
キャビンアテンダント2人相手に
怒鳴り散らしている。
何を言っているのかさっぱり分からないが
言葉の発音、男の顔、そしてここが広州行きの便の機内であることを考えると
男は十中八九、中国人だろう。


窓の外に視線を移すと
雲の上、帯状に夕焼けが広がっていた。


飛行機は思いのほか小型だった。
ちょうど新幹線の1車両分ぐらいか。
国際線にも関わらず前の座席にモニターは付いていない。
遥か前方にぶら下がっているだけだ。
座席自体も狭い。
これがエア・チャイナやガルーダ・インドネシアなら納得はいくが
全日空に過剰な期待をしていた俺は少しがっかりした。


それでもビールを飲んだり
うまい機内食を食ったりしているうちにゴキゲンになり
翼の王国」をぱらぱらめくったりしているうちに
前方のモニターに地図が表示された。
飛行機は既に中国大陸上空。
目指す広州も間もなくのようだ。
さすがに旅程には正確だ。
平気で5、6時間も遅れるエア・インディアとはここが違う。


中国の夜景は見えるだろうか。
再び窓の外に眼を向ける。


・・・雷光。


金色の稲光が
薄黒い雲の隙間から飛び出しては
別の雲に吸い込まれていく。
縦に、横に、光が走る。
まさに縦横無尽。
・・・おいおい、あそこ広州じゃねぇだろうなぁ。



それから30分ほどして
飛行機は危なげなく広州の飛行場に着陸した。
先程の雷光から雨天も覚悟していたが
機内アナウンスでは現地の天気は晴れ。28度。



入国審査を済まし
到着ターミナルのエスカレーターを下る。



さて、まずは今日の宿の確保だ。
そのためにはもちろん市街地に出る必要がある。


ぐるりと暗いターミナル内を見回す。


電光掲示板とその隣にカウンターが見える。
電光掲示板には
17、20と言った数字と時間、あとは町の名前と思われる漢字が表示されている。
バスのチケット売り場に違いない。


カウンターに近づく。
受付は女性2人。
「バス?」
英語で話しかけてみる。


片方の女性が少し眉間にしわを寄せて頷いた。


広州駅に行きたいんだけど。」


受付の女性はさらに眉間にしわを寄せる。
どうやら英語は通じないようだ。


「ステーション!」


受付の女性は首を傾げる。
「ステーション」も通じない。


困った女性は紙切れを差し出した。
書けということらしい。


広州駅」と書いてみる。
それを覗き込んで首を横に振る女性。
漢字も通じない。


うーーーん・・・。
とりあえず電車の絵を描いてみる。
「ガタンゴトン・・・」
と言ってみる。


受付の女性は首を横に振るばかりだ。
バカかと思われているかもしれない。


そうだ!
ガイドブックを開き
広州駅の記事が載っているページを開いて差し出す。


これには反応があった。


「グァンジョウ?!」


女性はそう応えた。
広州のことだろうか?
差し出したガイドブックを覗き込むと確かにそのような発音が載っている。
さらに良く見ると「広州」の漢字も違うようだ。
マダレの中の「ム」の部分が無い。「广州」と書くらしい。
もしかしたら「駅」という漢字も違うのかもしれない。


それから受付の女性は右手で外の方を指差しなら
何ごとかしゃべり
左手の人差し指を立てた。


「1番乗り場?」


俺も人差し指を立て日本語で聞き返す。


受付の女性は頷いた。
言葉は通じていないだろうが
ジェスチャーは通じていそうだ。


「チケットは?」


両手の人差し指と親指で四角の形を作りながら尋ねる。


「いらないわ。
 乗ってから払うのよ。」


そう言われた気がした。


言われるがまま
いや、言葉は何ひとつ通じていないのだが
空港の外に出てみる。


蒸し暑い空気が満ちていた。


空港の外には横に1本大きな道路が走っており
車やバスが行き来している。
さすがにリクシャーはいない。
首を横に向けると
何箇所かのバス停とバス、それに並んでいる人々が確認できた。
都会的だ。
成田やニューデリーとさして変わらない。



タバコを1本吸ったあと
それぞれのバス停を見て回る。
標識には終着地と経由地が載っている。
1番乗り場のバスは確かに広州駅に向かうようだった。


それぞれのバスの経由地、終着地をガイドブックの地図と照らし合わせる。


迷ったが5番乗り場のバスに乗ることにする。
地図を見たとき
広州市はなんとなく広島市に似ているような気がした。
街の形はまったく違う。
「広」という字だけで判断したのかもしれない。
本当になんとなくだ。
ただそういう考えが脳に張り付くと
駅前よりも少し離れた辺りがこの街の「肝」なのでは無いかと思えてきた。
ガイドブックにあった上下九路が
広島の並木通りや胡通りあたりと重なった可能性もある。
ともかく1件2件断られても別の宿が見つかる気がした。
いわゆる旅の勘である。


20分ほど待つとバスが来た。
リュックを担ぎ上げ乗り込む。
目的地は「海珠広場」。
発音は「ハイジュウ」だということは標識をチェックして覚えている。
俺は後方の座席に腰を下ろした。


バスはすぐに満杯になった。
ざわざわしているが日本語は一切聞こえない。
日本人は俺ひとりのようだ。


走り出して5分もすると
バスの最前列、バスガイドらしき女性が後を振り返り
大声でなにかしゃべりだした。


相変わらず何を言っているかさっぱりわからない。


バスガイドがしゃべり終わると
皆、一斉に体を傾けズボンのポケットに手を突っ込みだした。
隣に座っていた中国人もポケットに手を突っ込み
財布を取り出した。


料金の徴収かな。
俺も肩から斜めにかけたポシェットから
100元札を取り出す。


バスガイドは
前方から次々とお金を集めて
代わりにチケットと思われる紙切れを渡している。
やはり切符の販売のようだ。


バスガイドが俺の隣までやってきた。
隣の男といくらか言葉を交わし切符を販売。
続いて俺に声をかける。
やはり何を言っているか分からない。


「ハイジュウ!」


先程覚えたばかりの片言の中国語だか広東語だかで応えてみる。


バスガイドはそこでやっと俺が日本人だと気付いたらしく
ゆっくりとそして俺とは違うイントネーションで


「ハイジュウ?」


と訊き返した。


「イエス!」と頷き
100元を渡すと
切符と大量のお釣りが戻ってきた。



なんとかなるものだ。
無事、バスに乗れていることに満足し
窓の桟に肘を置きそこに顎を乗せ
窓の外の夜景に眼を向ける。


「エクスキューズミー?」


右後方から
バスガイドの不慣れな英語が聞こえてきた。


まさか日本人?!


期待しながら振り返る。


そこにはもちろんバスガイドと乗客、
太い眉毛にぎょろりとした瞳
ちょびヒゲ、褐色の肌、黒いバッグを大事そうに抱える
アーリア系の男がいた。


・・・インド人?



深夜23時。
バスは海珠広場に到着した。




― 続 ―
 



空港前リムジンバス乗り場
広州は東京にも引けを取らない大都会だ