第14章 WCC ― in KANYAKUMARI 7 ―


クリケットはインドでは国民的なスポーツだ。
投手が投げたボールを
打者が打つ。
そのあと誰かしら走る。
点が入る。
野球と似ているが
バットが船のオールのような形だったり
投球がワンバウンドしたり
打者が後ろに打ったり
1試合に100点以上入ったりと
インドのテレビで何度か見たものの
未だにルールがわからない。
しかしその人気は絶大で
テレビ視聴率は時に80%を超えるという。



陽もやや傾き
海からの風のおかげで
だいぶ涼しくなってきた。
ベランダでタバコをふかし
タケとくだらない
・・・本当にくだらない話をしながら
ぼんやりと裏の空き地を眺める。


野良ヤギと野良豚が
空き地から出て行くのと入れ替わり
ぞろぞろとインド人達がやってくる。
小学生ぐらいの少年から
我々と同世代の青年やおっさんまで計10人ほど。
今日もクリケットが始まるようだ。


そのまま眼下の空き地で繰り広げられるクリケットを眺めていると
そのなかのひとりが我々に気付く。


「ハローーーーー!!」


「ハローーーーー!!」


「カモンッ!カモンっ!!!」


いきなりカモン?!
ルンギーを巻いた青年が
大きく手招きしている。


クリケット・・・
・・・やってみてぇ!!


「どうする?行っとく?!」


「いや、俺はいいわ。」


「俺もいいっす。」


U君はもとより
野球経験者のナベタクも辞退。


「これ行っちゃいますかぁ!!」


タケだ。
タケは野球推薦。
こいつは期待できる。


「おし、じゃ行こうぜ!」


「俺、ノーパンっすけど大丈夫っすよねぇ?」


マニッカムの階段を駆け下り
裏の空き地へ急ぐ。


「ハロー!」


「オー、ハロー!!」


空き地に駆け寄ってくる我々を見て
少年たちはちょっと驚いた表情を浮かべていたが
大人達は満面の笑顔だ。


が、徐々に大人達の顔が曇る。


確かに笑顔には違いないが
なんとなく少し残念そうに見える。
親戚のおじちゃんにお年玉をもらったが
額が期待はずれだったときのような笑顔だ。


立派な口ひげを生やした青年が
皆の気持ちを代弁したように訊いてくる。


「えーーっと、あー・・・
 ・・・女の子達は連れてこなかったのか?」


「え?女の子?」


「今もこっち見てるじゃないか?
 ほら、お前らの部屋のベランダ。」


ベランダにはU君とナベタク。
確かにU君は背中まで届くかなりのロングヘアー。
遠くからだと女の子に見えるのかもしれない。


「・・・いや、あいつ男だぜ?!」


「なんだと?!」


いぶかしがる男。


「・・・いやいや、あいつが男だとしても
 他に2人ぐらい居ただろう?!」


・・・・・
俺とタケもそこそこロン毛。


「・・・それ、俺らじゃねぇ?!」


「!!?」


大人達のテンションが
目に見えて下がっていく。


えっなになに?!
その騙されたみたいなリアクション!?
俺らが悪いの??


一時はクリケットが終了するんじゃないかと思われるほどの
落胆ぶりだったが
ノーパンのタケのルンギー(腰巻)めくりをやっているうちに
インド人達の機嫌も若干回復し
少しだけボールを打たせてもらうことになった。


まずは俺。


バットは思いのほか重い。
バットというよりラケットか?!
インパクトの瞬間は
平たい面に当てる必要がある。
そしてテレビを見る限り
スイングはゴルフのように・・・。


ピッチャーがボールを地面に叩きつける。
?!
地面に当たった瞬間バウンドが変わる。
曲がった!?
・・・空振り。


「ワンモア!」


もう一度投げてもらう。
今度はバウンド後に伸びる。
膝元?!。
腕がたためない。
・・・またしても空振り。


「ベースボール・スタイル?!」


心配そうにマウンドに立つ男が声を掛ける。


「イエス!プリーズ!!」


今度はノーバウンドで投げてもらう。
・・・しかし空振り。


3球空振りしたところでタケに代わる。


「任せてください!俺これでも元野球部っすから!!」


しかし、初球、空振り。


「ベースボール・スタイル!!プリーズ!!」


早くもノーバウンドを要求するタケ。


ピッチャーがゆっくりと投げる。
打った!!
左中間まっぷたつ!!


さすが元野球部!


「オオー2ラン!!」


一瞬歓声が上がったが
すぐに冷める。


やはりベースボールスタイルで打ったところで
賞賛はされないのか?
いや、女の子がいないことが問題か?!


「・・・帰るか?」


結構本気で練習しているようだったので
お礼を言い
空き地を後にする。


空き地を出る階段を上ったところに
ふさふさと黒い毛を蓄えた豚がいた。
・・・でかい!


「豚・・・だよな?」


「なんか、でかくないっすか?!
 豚って言うより野生のイノシシ・・・
 うわぁーーーーこっち来たーーー!!」


「やべぇ!逃げろ!!」


幼少のころ
イノシシに吹っ飛ばされた記憶が
脳裡をよぎる。


「無理ッス!無理ッス!
 俺サンダルにガラスの破片刺さってるんス!!
 クロックスまじ使えねっす!!!」



タケと一緒に逃げ回りながら
なんとか無事部屋に帰還。
初めてのクリケットデビューは
ほろ苦い思い出となった。



その後タカシも部屋に合流。
そろそろ次の町へ向かおう。
今夜でカニャークマリは最後。
あとで夕陽を見に行ったあと
5人でビールを飲みに行く約束をする。


カニャークマリにいたのはわずか2日。
本当に時間がゆっくりと流れる町だと思う。
ヴァラナシもそうだったが
聖地と呼ばれるところは
時間がゆっくりと流れるのだろう。
カーストのインド人は
早く来世を迎えたい。
逆に聖地に住める、聖地にいつでも赴けるような高カーストの人間は
ゆっくりとした時間の中で
じっくりと現世を楽しみたいのかもしれない。
聖地にはそんな魔力があるように思えた。
だが、幸にも不幸にも我々は旅行者。
遊牧民にも似て移動し続けるのだ。
単純に飯も美味い
宿も快適
人々は穏やかで海もあるここに
もう少し居てもいいと思ったが
そろそろ移動しないと日程がきつくなる。
まだあと20日近く旅程はあったが
広大なインド亜大陸
まだ見ぬ地も山ほどある。
なによりあと2、3日ここに居ると
その居心地から
帰国日までここに沈没してしまいそうだ。


「俺もうインドは充分です。
 タイに帰ります!」
と、カルカッタまでのマル2日列車の旅を選択したタカシと
西から回ってきて東に向かうタケは
一緒に列車駅へ
逆に西に向かう我々3人は
バス乗り場へ
それぞれチケットを取りに出かける。


なるほど。
そういえばここはインド最南端。
長期旅行者の多くは
西回りと東回りに分かれる。
ちょうど我々とタケ、タカシは
インド最南端の岬で
旅の途中にすれ違ったわけだ。


バスのチケットは意外に簡単に取れた。
明日早朝、カニャークマリを発つ。


海に向かってなだらかに下る帰り道。
坂の終わりは
空との境界を失くした青い海へと続く。
次の目的地はインド屈指のビーチリゾート
コヴァーラムだ。











つづく