第5章 魚の眼を持つ女神の町 ― in MADURAI 1 ―


宿選びは重要だ。
場所、設備、そして料金。
この3点は慎重に吟味したい。
正直、安全性やサービスは
良ければそれに越したことは無い程度。


朝6時半にマドゥライに到着した我々は
かろうじて開いていた安食堂に入り
チャイをすすりながら
今日一日のおおまかな予定をたてる。


「まずは宿だな。」


1泊するにしろ
夜にマドゥライを発つにしろ
町散策の拠点となる宿は早めに決めたい。
とりあえずガイドブックに書かれている宿を
いくつか当たってみることにする。


チャイ代を支払い
食堂を出て
ひとつ目の十字路に差し掛かったとき
ゴミ捨て場に横たわる
黒い塊が眼に留まる。


おぉ!野良牛だ!


そういえば
昨日チェンナイでは全然牛を見ていない。
なにか物足りないような
なにか寂しいような
奇妙な違和感を抱えていたが
その要因は牛がいないことだったのかもしれない。


「ハロー、ジャパニ!ホテル?俺が良いところを教えてやる。」


おぉ!今度は客引きだ!


そういえば初日は深夜にタクシーで宿に到着したため
ホテルの客引きも初めてだ。
やっとインドらしくなってきた!


牛と客引きに出会ってテンションが揚がっていたので
このおっさんについて行っても良かったのだが
ひとまずはガイドブックに書かれている宿に向かうことにする。


「ノーサンキュー。バーイ。」


おっさんと別れて
降り積もった土煙に埋もれた通りを歩く。
太陽は顔を覗かせたばかりの時間帯で
3、4階建ての古ぼけたビルが立ち並ぶこの通りに
まだ陽の光は差し込んでいない。
朝から忙しく煙を吐き出す屋台に
立ち飲みのインド人達が群がるチャイ屋。
砂を巻き上げて自転車が走り
牛が虚ろな眼でゴミをあさる。
華やかさは無いが
旧市街という名前がぴったりの通りだ。


「お、ここじゃない?」


1軒目の宿はスプリーム。
ガイドブックによると
ダブルルームで1泊600ルピー。
屋上にミーナークシー寺院が眺められるレストランがあるうえに
場所も外観も文句なしだ。


「部屋は開いてるかい?」


深刻な顔をしたフロントの男に
にこやかに尋ねる


「どの部屋にする?」


男は手元の冊子を開いて
部屋の種類をひと通り指でなぞった。


ダブルルーム・・・1200ルピー?!


「600ルピーの部屋は?!」


「ダブルルームは1200ルピーからだ。
 全室エアコン付きになったから
 600ルピーの部屋はもう無い。」


凄まじいインフレ具合だ。
さすがにインド2日目で
1200ルピーは使えない。
我々は肩を落とし
スプリームの小奇麗なラウンジを後にする。


「もう1軒行ってみよう。」


よっぽど疲れているときを除いて
宿を何軒か巡るのは苦にならない。


「ハロージャパニ!宿は見つかったか?」


さっきのおっさんだ。


「スプリームに行ったんだけどやたら高くてやめたよ。」


「そうだろうそうだろう。あそこはベリーエクスペンシブだ。
 俺が良いホテルを紹介してやる。」


「いや、大丈夫。もう1軒当てがあるから。」


再びおっさんと別れて
2軒目インターナショナルへ。
ガイドブックの情報では
設備はスプリームより少し劣りそうだが
ダブルルームで1泊336ルピー。
清潔で安心、フロントの雰囲気も良い
とのこと。


「ノールーム。FULLだ。」


めでたく満室、門前払い。


「まだまだ、もう1軒だ!」


「ハロージャパニ!宿は見つかったか?」


またもや先程のおっさん。
マークされてるのか?!


「インターナショナルはFULLだったよ。」


「そうだろうそうだろう。あそこはいつもFULLだ。
 俺が良いホテルを紹介してやる。」


「いや、もういっこ別のところに行ってみるよ。」


3軒目はプレーム・ニワース。
ダブルは1泊450ルピー。
ビジネスマンが良く利用するらしい。


が、
「ノールーム。FULL!」


これでガイドブックに載っていた目ぼしい宿は全滅。
他に載っているのは高級ホテルか
「シャワー無し、水道の水をかぶる」宿だけだ。


「ハロージャパニ!」


恒例のさっきのおっさんだ。


「プレーム・ニワースもFULLだったよ。」


「そうだろうそうだろう。あそこもいつもFULLだ。
 俺が良いホテルを紹介してやる。」


うーん、他に当ては無い。


「オッケー。とりあえず見てみるわ。連れてってくれ。」


「OK!カモンッ!」


おっさんに連れられて行ったのは
十字路をひとつ飛び越えたところにあった
古びれたビル。
宿の名前はSUBHAM。


フロントは薄暗く
色褪せたソファが並び
穴の空いたカーテンが窓に掛かっている。


「とりあえず部屋を見せてくれ。」


従業員が鍵を持って部屋に誘導する。


4階の部屋。
木製のドアには南京錠がかかる。
部屋もまぁまぁ明るい。
ベッドはふたつだが
なんとか3人寝れそうだ。
トイレ付きのシャワールームもある。


まぁいいか。


再び1階に戻り
フロントでチェックイン。


「オー、ここに決めたか!ジャパニ。」


入り口の傍で
握手を求めてくるさっきのおっさん。


「ジャパニ、俺は実は仕立て屋なんだ!
 店がこの近くにあるから後で寄ってくれ!」


なるほど。
このおっさん、宿からコミッションを貰っている普通の客引きじゃなくて
ご近所づきあいと自分の店の宣伝を兼ねた客引きだったのか。
しかし、仕立て屋にしてはボロボロのシャツを着ている。


「オッケー!グッドホテル!サンキュー!バーイ!」


さぁあらためて部屋へ。


水シャワーといえども
この部屋代でシャワーとトイレが付いていれば充分だ。


・・・ってあれ?


シャワールームと名づけられた空間に入って見渡しても
シャワーヘッドはどこにも無い。
あるのは洗濯用のバケツとトイレ用のカップ
インド式トイレ
そして蛇口がふたつ。
奥にあるのはトイレ用の蛇口だろう。
ということは・・・
この手前のがシャワー用か?!
座らなきゃシャワー浴びれねぇじゃねぇか!
結局ここも「水道の水をかぶる」宿じゃねぇか!


シャワールームを出たところにある
洗面台もひどい。
蛇口から水が出る。
洗面台に水が流れる。
しかし、洗面台から排水溝へのパイプは無い。
洗面台の穴から流れ落ちた水は
そのまま洗面台の真下に置かれたバケツに溜まる。
そのバケツに溜まった水をトイレに流しに行く。


ふーーーーーーん・・・


まぁ・・・ベランダがあるから良いか。






つづく