第22章 PUJA GUEST HOUSE


絶食の効果は絶大だ。


一時的に右腕は動かなくなったが
腹の調子はある程度治っている。
体はまだ重いが
インドではそれが俺の普通の状態である。


冷たくなった右腕に
左手でマッサージを施し
なんとか熱と感覚が戻ってきたところで
M上が部屋に戻ってきた。


「部屋、変えてもらおうぜ。」


確かに。
部屋が汚いことには慣れてしまっているとはいえ
バッタがたくさん居る部屋と
居ない部屋では
当然、居ない部屋のほうがいい。


我々はロビーに降り
受付の兄ちゃんに
部屋の移動を申し出た。


空いている部屋はただひとつであった。
部屋からガンジス河が望めるガンガー・ヴューのデラックスルーム。
一泊900ルピー(約2700円)、つまりひとり頭450ルピーもする
ヴァラナシの安宿では最高クラスに高い部屋だったが
体調のことも考え大奮発することにした。


部屋は広かった。
もちろんバッタはいない。
座布団サイズの小さな窓からは
近隣の建物に見え隠れしながら
申し訳程度にガンジス河が見える。
これでガンガー・ヴューとはよく言ったものだと思ったが
テレビとクーラーが設置されているのはうれしかった。
部屋を見回すと
なぜかもうひとつドアがある。
こういうことは安宿では珍しい。
朽ちかかった木のドアを開けてみると
そこは半畳ほどのベランダスペースであった。


「すげぇ!ベランダまで付いてる!!」


太陽の熱を抜群に浴びるベランダに
洗濯物を干す。


そろそろ飯でも食ってみようか。


一日ぶりの食事を採りに屋上の食堂に向かう。



屋上に上ると
目を見張るような絶景が待っていた。
近隣の建物よりはるかに高くそびえるこのプージャ・ゲストハウスの屋上からは
広大なガンガーと
その周囲に無数に散らばるガート(沐浴場)、安宿街、不浄の地と呼ばれる対岸の砂地まで
全て一望できるのである。
聖なる河ガンガーは
燦々と照りつける太陽の光を反射して煌くこともなく
他のなにものにも染まることもなく
白とも黒とも、青とも茶色ともつかぬ
どっしりと重くそれでいて淡い独創的な色を携えている。
この河こそが混沌であり
神秘であり
壮麗で幽美で
非現実的でありながら絶え間なくそこに在り続ける
俺が溺れてきたインドそのものではないか
そんな印象を受けた。



屋上からの眺めをひとしきり楽しんだ後
我々は席に着き
昼飯を注文する。


俺はチーズオムレツとチャイをオーダー。
M上は結構がっつりと飯を食っている。
本当に胃腸の強い男だ。



「あ、どうもー。」


飯を食い終わったころ
ひとりの日本人が声を掛けてきた。
我々より少し年上だろうか。
背が高くやつれてはいるが旅慣れしている感じだ。


どうやら俺が寝ている間に
既にM上とは面識があるらしく
3人で世間話に花を咲かせることとなった。
まぁ世間話といっても
こういう場所で出会えば
自ずと旅の話になる。


この日本人のお兄さんは
このたび勤めた会社を辞め
次の仕事が始まるまでの間
長期のバックパック旅行に来ているらしい。


「いやぁ、でもブータンとか意外におもしろかったね。」


ブータンですか?あそこって確か・・・。」


そうブータンという国はバックパッカーには非常に厳しい
というかバックパック旅行自体ができない国である。
必ず旅行会社を通し
入国1日につきおよそ200ドルを国に支払い
ガイドを絶えず付き添えていないと旅行できない厳格な仏教国である。


「そうなんだけど・・・。実は・・・。」


どうやら話を聞くと
インドからバスやらタクシーやらを乗り継いで
国境付近まで行き
そこからぶらぶらと歩いているうちに
いつの間にかブータンに入国してしまったらしい。


「・・・それって密入国ですか?」


「うん、密入国だね。はははっ。」


まさか徒歩で密入国とは。
さすがインドで出会うバックパッカー
とんでもないツワモノがいるものである。


「そういえば体調は良くなったんですか?」


M上がお兄さんに尋ねる。


「うん。このとおり。ただの風邪じゃないかな。
 おとついぐらいはきつかったな。40度ぐらい熱が出て吐くし痙攣するし。
 1週間前ぐらい前にも同じ症状が出てたけど寝てたらすぐに治ったし。
 油断せずにゆっくりしてればもう大丈夫だと思うよ。」


1週間前・・・。
おとつい・・・。
1日のうちに高熱、吐き気等に襲われるが
すぐに熱は下がる。
そしてまた3、4日置きに同じ症状を繰り返す・・・。



・・・あの〜・・・それって
典型的なマラリアの症状では?









つづく