第25章 サラダと雨の夜


インドで商売人のおっさんと久々のバトル。
いや、ショーか。
相手は2人。
おっさんとそのアシスタントの若い店員。
四方を棚に囲まれたシルク工場兼直売所。


おっさんが棚から布を引っ張り出す。
布はシーツを干すときのように大きく開かれる。
目の前を布が舞う。
ふわりと絨毯の上に重なる。


我々の感想を聞く間もなく
おっさんは棚から次の布を引っ張り出す。
同じように大きく開き
ふわりと先ほどの布の上に重ねる。


また、次の布を棚から引っ張り出し、開き、重ねる。


棚から引っ張り出しては、開き、重ねる。


アシスタントの仕事は
折れ曲がった布の端を直すことだ。


絶え間なく、目の前で舞う鮮やかな色彩。
迷う暇も無い。
新たに舞う布に次々と目移りする。
第一印象、直感で決めるしかない状況。
そういう売り方なのかもしれない。
ちょっと気になったものがあって
うっかり前のめりになったりすると
そこから怒涛の営業トークが始まる。


結局、シルクのストール系の布を2枚と
ソファにかけるように、
ベッドのシーツだという売り文句の
大きな布を1枚購入。
赤を基調としてエキゾチックな模様が入った
なかなか満足な1枚だ。
F田氏は俺と色違いのシーツ?とストールを何枚か購入。
原価もそこそこするのか
値切り交渉は思ったほどうまくいかず
2人ともそれぞれ1000ルピー以上を支払う。
熱いホットシャワーが浴びられて
エアコンのおかげで快眠できる宿に泊まれる価格だが
それなりに良いものが手に入ったので
まぁ良しとする。



その後、ホテルに戻る前に
申し訳程度に風の宮殿に立ち寄る。
ちなみに17:30を過ぎていたため
入場不可。
車の中から眺めるのみ。
しかも雨。
写真を数枚撮って終了。



ホテルに戻ってきたのは18時過ぎ。
例のハキム絶賛ノートに
「ハキムはとっても良い人です!」
と、雑なコメントを書いて
車を降り、部屋に戻る。


明日も早い。
これは早めに酒を飲んで早めに寝るに限る、
と思い、F田氏と晩酌メニューの勘案。
が、ルームサービスのメニューページをめくっても
KINGFISHERも、TAJMAHALも、COBRAも
いや、BEERの文字すら見当たらない。
屋上に上ってレストランの従業員に尋ねる。
「ナッシング!フロントに行ってみろ!」


1階のフロントに降り、おっさんに尋ねる。
おっさん、屋上に電話を架ける。
「ヘイ!ビアだ!・・・あ?!
 だから、ジャパニがビアだって!・・・あ?無い?!
 なんでだ?!・・・あ?・・・あぁ・・・オーケー・・・。」
受話器を置いたおっさんは、
我々に別案を提案。
「どうやらストックが無いらしい。
 こっから10分ぐらい歩いたとこに酒屋がある。
 このホテルを出て、こう行って、こうだ!」
すかさず隣のエスパー似のフロントが止めに入る。
「ビアはないぜ!今日はインディペンデンス・デイだ!
 酒屋にもビアは無い!インド中どこだって無い!
 オールインディア、ナッシングだ!!」


これは誤算だった。
どうやら今日、8月15日はインドの独立記念日
国民の休日らしく、酒屋ももちろん閉まっているとのこと。


どうしようもないし、F田氏の体調も完治してないので
むしろ良かったと割り切り、
屋上のレストランで普通に夕食を採ることにする。


階段を上り屋上に出る。


天気はまだ回復していない。
雲間からうっすらと光は漏れているが
それでも薄暗い。
パラパラと細い線のような雨が
レストランの裸電球の淡い光に浮かんでいる。


出来るだけ、雨の影響を受けない席に座る。
F田氏は体調を気にして
体に優しいメニューをオーダー。
マサラオムレツ、チキンマンチョスープ。
オレは自分の分のカレーとは別に
ぜひ、F田氏に食べてもらいたいメニューがあった。


それは生野菜。
メニューにはもちろん無かったが
店員に相談し、タマネギとトマトとキュウリのサラダを頼むことにした。


ほどなく運ばれてきたサラダは
生野菜がどっかりとのっていた。
トマトもキュウリもタマネギもすべて輪切りにしただけのものだったが
皿への盛り付けはさすがに美しかった。
トマトの赤、キュウリの白と緑、そして外円に向かって段々と紫がかるタマネギ。
「料理界のドラクロワ」というフレーズが頭に浮かぶ。


もちろんドレッシングなんてものは無い。
そんなことはお構いなしに、うまい。
インドは野菜がうまい。
トマトは日本のものと比べても
水気は少ない、しかし、濃厚。
余計な水分がないぶん、ビールにあう。
今日はビール無いけど。。。
タマネギも素敵だ。
多くは紫タマネギだが
甘すぎずピリッとしていて
カレー系の箸休めに最適。
そして、特筆すべきはキュウリ。
タイやインドネシアも似たような品種のキュウリだが
インドのものは別格。
気分的な影響もあるだろうが
ジューシーで爽やかで様々な飯と酒にあう。
栄養価が低いとか、ビタミンCを壊すとか
そんなことどうでも良いぐらい
贅沢な嗜好品である。
余談だが、プシュカルにある1泊60万円はするという
超高級ホテル、タージ・レイクパレス、
そこのディナーで提供される生野菜も
玉ねぎ、トマト、キュウリの3種だとか。


霧雨に濡れ、なかなか出てこない卓上の塩の容器を必死に振り、
サラダ、インドの生野菜を食す。


そのうち陽も落ち、雨も上がった。
ピンク色の街は次第に色を失い
代わりにぽつぽつと暖色の光の粒が浮かんできた。


夕闇の中からふいに歌が聞こえてくる。
街に張り巡らされた、スピーカーからの歌。
コーランだろうか。
歌は四方八方から流れている。
夜の闇と街の灯りは、屋根と夜空との境界線を消していく。
ジャイプルは、祈りに似た歌声に覆われていた。







― つづく ―