第6章 スリと胃腸薬


列車チケットの手配をして、宿に戻る途中、
曲がり角のところにラッシーの屋台があった。


屋台の周りには当然のようにハエが飛び交っている。
足元も何らかの液体で水浸しで不衛生感は否めない。
ラッシーなのでもちろん生水から作った氷を使っているだろう。
だが、客はちらほらいるし、店主はせっせと新しいラッシーを作っている。


いける!
回転率は良さそうだ。
たぶんいける!あたらない!
作り置きじゃなさそうだし
まだ、免疫力の高いインド2日目。
腹の調子も良い。
勝てる!いまなら細菌に勝てる!
屋台のラッシーを飲むなら今しかない!


俺は砂糖入りの普通のラッシー、
F田氏は砂糖抜き、塩入りのソルティラッシーを注文。
ちなみに彼は甘いものが食えない。
場合によっては白米の甘みもダメ。
大トロの脂の甘みでもいかんようだ。
甘ったるいチャイなんて以ての外。
当然、ラッシーもソルティになる。


銀色の器にもこもこと泡だったラッシーが注がれて出される。
この泡が特に濃厚。
濃縮されたヨーグルトのような味だ。
泡だけ別で注ぐところが生ビールに似ている。
液体部分はすっきり、ひんやり。
ほど良く甘い。
F田氏のソルティ・ラッシーも味見させてもらう。
こちらはほんのり塩味でヨーグルトの酸味、甘みと良く合い
冷製スープのよう。


ラッシーを味わったあとは
近場のバーへ。
昼間っからキングフィッシャー・ストロングビールで乾杯。
つまみはジャガイモのスパイス炒め。
ほくほく、ピリ辛、にんにくとスパイスの香り。
ついでにジンジャー・チキンも頼んでおなかいっぱい。
チキンの付け合せのたまねぎのスライスが絶品。
味付け無しで全然イケる。
インドは野菜がうまい。


ほろ酔いで宿に戻り、
今夜の出発をフロントに告げる。
キャセイからF田氏の荷物が届くのは早くても明日の朝。
そのため、届いたら最終日まで宿で預かっておいてもらうことにする。


荷物が無いF田氏と一緒に
午後の時間帯は買い物。
メインバザールを歩き回り、バッグや服を購入。
初インドで日用品と旅行用品を現地調達とは
なかなかハードな経験だ。
ここで彼は「値切り」を覚える。


買い物が終わったころには18時。
チケット受け取りの時間だ。
シゲタ・トラベルへ。


日本語ぺらぺらのおっさんからチケットを受け取る。
チケットというか日程や列車ナンバーなどが印刷された一枚紙。
これほんと大丈夫か?
おっさんに念を押したがこれがいわゆるネット予約のEチケットだから
ノープロブレムらしい。


「あれ?」


思わずEチケットを覗き込む。
デリー⇒ジョードプル、出発日が・・・明日?


「あれ?今日の夜じゃなかったっけ?」


「ノー。明日の夜だ。」
毅然と切り返すおっさん。


「え、そうだっけ?今日だった気が・・・。」


「ノー。今日の列車は無い。明日だ。」


他のチケットも含め、おっさんと日程を確認すると
確かに明日夜出発でも問題ない。
どうやら勘違いしていたらしい。


チケット一式を受け取り
シゲタ・トラベルをあとに。



出発は1日遅れてしまったが
良い面もある。
F田氏が明日朝、荷物を受け取れるのだ。
さっき買ったバッグや服が
少しもったいないことになってしまうが
結果オーライとも言える。


またまた宿に戻り
フロントに出発日の変更を伝える。
荷物も明日朝届き次第、部屋に連絡をいれてもらえることになった。


雷雨の予報に、飛行機遅延、ロストバゲージ
インドでのおもろいトラブルを望んだ上司のI田さんの呪いで
どうなることかと思った今回の旅のスタートだが
徐々に旅運が向いて来ている。



・・・はずだった。
このときは。
呪いは、そう簡単には解けない。



旅のトラブルがひとつ解決されたことで
我々は浮かれていた。


浮かれ気分で夕涼みへ。


野菜が並ぶ路地があったので
晩飯を食う前にぶらぶらとしてみることにする。


インド人たちが
地べたに布などを広げ
野菜を並べている。
きゅうり、唐辛子、トマト、おくら、たまねぎ、ピーマン。
色とりどりの野菜が並び、客が群がっている。
食料品のナイトバザールだ。
路地には野菜が並び、人が溢れ
熱気に満ちている。
これはテンションがあがる。
途中には鶏肉屋もあった。
店の前でカゴに入れられた鶏が騒いでいる。
肉屋のオヤジは中華包丁のような大きな刃物を振りかざし
いままさに鶏をさばこうとしていた。
そんな肉屋の周りにも人だかり。
少しでも良い肉、良い部位を買い叩こうと狙っているのかもしれない。


バザールの終わり、路地の出口まで残り少し。
ここである違和感。


前を歩いていたF田氏が
立ち止まって振り返る。


「・・・すられました。。。」


「え?・・・うそ?すられた?」


スリだ。
どうやらポケットから何か抜かれた感覚があって
確認したらタバコをすられていたらしい。


「もしかして・・・」
ふと嫌な予感。


俺も背負っていた簡易リュックを下ろす。


ポケット部分が開いている。


・・・やられた!
俺もすられている。
5度目のインドで初のスリ被害。
インド慣れをかまし
油断していた。


すられたのは
タバコと
ビオフェルミン!!?


ビオフェルミンはイタい!
タバコはまだいい。
ビオフェルミンをすられたのはきつい。
腸の調子を整えるインド旅行の要。
心の拠り所だ。


神々の住まうインドで
旅行のたび、俺はビオ神を信仰していた。
腹痛や下痢から我が身を守ってくれる
ビオフェルミンの神だ。
その神が
この旅の始まりで失われたのだ。


遠藤周作の「沈黙」の一節が頭に浮かぶ。


「パードレ、おらたちあ、なあんも悪かことばしとらんとに」


ビオ神はインド2日目で沈黙した。






― つづく ―