第54章 旅の終わり ― in Varanasi 10 ―


「おい、ジャパニ!布を買え!
 チープな店に連れてってヤル。
 シルーク、バンダーナー、ルンギー、コシマキー
 なんでもあるゾ。」


歯茎を剥き出しにしたしかめっ面のインド人に突然腕を掴まれる。
ヴァラナシの路地をぶらぶらしていると良くあることだ。
それは良いとして、先ほど別の店で買った布を持っている俺に
また布を買え、と。


布はもう必要無いことを伝えると
当然、しかめっ面の男はさらに喰らいついてくる。 
「じゃあオマエはなにが欲しいんだ?!」


「うーん、強いて言えばネットカフェに行きたいかな・・・。」


「オーケーカモンッ!!」


しかめっ面に付いていく。


裏路地のそのまた裏の路地に
ネットカフェはあった。


ネットカフェといっても
売店の奥に置かれた長テーブルに
黄ばんだパソコンが4つ並べてあるだけ。
とりあえず一番手前の席に座る。
なぜかしかめっ面もその右隣に座る。


俺がメールをチェックする間
男は引き続きしかめっ面でなにやらバイクの写真のサイトを見ている。


「マダ終わらないのか?」


「いや、別に待たんでも良いよ。」


「ダメだ。オレは待つ。
 オマエはこのあと布を買うんだ。」


「いや、ノーセンキューだよ。」


「ダメだ。案内してやったんだから
 このあとはオレの店に来るんダ。」


逃げられんかな、こりゃ。


仕方が無いのでネットカフェを出た後
再びしかめっ面に付いて行く。


目的の店はすぐ近所にあった。


コンクリートの床に
絨毯をひいた店内。
8畳ほどの広さ。
ヴァラナシの小売の店舗としては広いほうだ。
四方に棚が置かれ
布や紅茶葉が並べられている。


店のオヤジが布や紅茶の葉を次々に見せてくるが
どれも品質の割りに値段が高い。
交渉してまで欲しいような品も無い。


なにも買わずに店を出ると
店先でしかめっ面に腕をつかまれ口論になる。
というか一方的に暴言を吐かれる。


「なんで買わないんダ!?
 オマエはクレイジーだ!
 オレはネットカフェを案内してやったんだゾ?!
 ジャパニは金を持ってるダロ!?」


最後は日本語で「バーカ!」と捨て台詞を吐き
しかめっ面は去っていった。



その後、引き続きベンガリー・トラ通りをぶらぶらし
売店でタバコを買っていると
「ヘイッ!」
と後ろから肩を叩かれる。
振り返ると先ほどのしかめっ面。


「ファッキンジャパニ!オマエはウチの店では買わないのに
 タバコなんて買いやがって!
 オマエを待っている間に
 オレはインターネットで20ルピーも使ったんだゾ!?
 今度は買えよ!またな!!」


それだけ言って去っていく。
あれだけ暴言を吐いて別れたのに
1時間もしないうちに気安く話しかけてくる。
根に持たないというか熱しやすく冷めやすいというか
このへんのインド人の感覚は凄いと思う。



夜は今日も3人でガンガーフジホームの屋上レストランに行った。
コンクリートの床に木のテーブルとイスを並べただけのレストラン。
心地よい夜の風と月明かりとキャンドルの光。
ここの宿のオーナーはいけ好かない
レストランの雰囲気は良い。


眺めの良い壁際の席に座り
ビールと、つまみになりそうなものを何皿か注文。


我々の席から短い階段を降りたところにある大テーブルは
10人近い日本人に囲まれていた。
その輪のなかにひとり知った顔がある。
プージャゲストハウスでパプー一行に席を追いやられた少し年上の脱サラ兄さんだ。
軽く会釈をする。
彼とはプージャゲストハウスのあとにもメグカフェで出会ってモヌーゲストハウスを紹介したり
ガンガーを眺めているとちょうどボートから降りてくるところに出くわしたり
なにかと縁があるようだ。


「あ、ウェイターさーん、こっちにバングラッシー6つ追加ねー!」
日本人男女の一団を取り仕切っているのは、中央の席に座る金髪でメガネの小太りな男。
サンド○ィッチマンの片割れに似ている。
どうやらアルコールの代わりにバングラッシー(大麻入りラッシー)で酩酊を誘っているらしい。


「おーい、新しい仲間連れてきたよー。」
そこへロン毛のイケメン兄ちゃんが女の子を2人連れてくる。


「はい、初めましてー。
 じゃあ自己紹介として右のコから順番に名前と・・・
 インドで騙された話ぃーーーー!いぇーーーー!
 あ、ウェイターさん、バングラッシーもう3つ追加ねー!!」


テンションマックスのサンド○ィッチマン。
場は大学の新歓コンパのようだ。


「え、えーっと、カナです!
 騙された話はぁ・・・デリーの旅行代理店で200ドルぐらい取られちゃってぇ・・・」


「いやいや、200ドルぼられるなんてぜんぜんフツーだよ。
 オレなんてもうインド3回目だけどさぁ、
 こないだ来たときさぁ・・・」


言葉尻にかぶせるサンド○ィッチマン。
端の席で早くも脱サラ兄さんはうつらうつらし始めている。
酒、もとい大麻に弱いのだろうか。


我々は我々でこの1ヶ月の思い出をしばらくだらだらと話していた。
途中トイレに立つ。
トイレは屋上からひとつ降りたフロアにあった。


トイレを済ませ席に戻ろうとしたときに
ウェイターに声を掛けられる。


「アナタはニホンジンですか?」


返事をすると
ウェイターはにっこりと笑った。
笑うと眼が線のように細くなる。
インド人としては薄い顔立ちだ。
ネパールかチベットの出身かもしれない。


「ドウゾ。ココに座ってください。」


木のイスが3つ。
声を掛けたウェイターともうひとり同僚のウェイターに挟まれる形でイスに座る。


「ドコから来たのか」というお決まりの挨拶から会話が始まる。
広島の生まれであること、原爆の話などをする。
右に座っている声を掛けてきたウェイターは
あまりインド人らしからぬ物腰のやわらかさがあり
左のウェイターは南インド人のような
大げさで好意的な相槌を打ってくれる。


次に左のウェイターの「インドではどこへ行ったのか」というこれまた良くある質問に応えていると
「アナタはサールナートへは行きましたか?」
という質問が右のウェイターから飛んできた。


サールナートは確かヴァラナシからバスで1時間ほどの町だ。
行ったことはない。


サールナートはスゴク良いデス。
 ブッダが初めて教えを説いた地デス。
 ブッディスト(仏教徒)なら行ったほうが良いデス。」


やけに詳しい。
「あなたもブッディストなんですか?」


「いえ、ワタシはネパーリーです。
 ネパーリーは・・・」


そこからネパーリーのウェイターは
自身の信仰について語りだした。
残念ながら俺の語学力ではあまり聞き取れなかったが
グルとかラマとか言う単語が出てきたので
もしかしたらチベット密教なのかもしれない。


「・・・でもワタシは仏教が大好きデス。
 ルンビニーサールナートブッダガヤー、クシーナガル、全部まわりました。
 ブッダルンビニーで生まれ、サールナート、ラージギル、サヘート・マートなどで教えを広め
 最後、クシーナガルで死にました。
 そのなかでもサールナートはとてもとても重要な地デス。
 ぜひ行ってみてください。」


仏教について熱く語るネパール人。
「連れて行ってやる」と言われガイド代だのガソリン代だのを要求されたことは多々あるが
純粋に「行ってみて」とお勧めされたのはインドで初めてだ。
なにより信仰を異とするネパール人が
仏教が好きで、
仏教について熱く語ってくれているということが
敬虔ではないにしろ、ひとりの仏教徒として嬉しかった。



席に戻りグラスに残っていたビールを飲み干して
U君とナベタクに先ほどのウェイターの話をしていると
パンッという何かがはじけたような音がした。



花火だ。



そしてもう1発。
2発。



バスケットボール大の大きさの
赤や緑の火花。



この屋上よりも低い空で
小さく、しかし色鮮やかに開く花。




南インドのチェンナイから始まった
約1ヶ月間のこの旅も
次の町、デリーが終着点となる。



明日が、インドで最後の出発。










つづく