第31章 オリッサの風


列車は1時間遅れて
ブバネーシュワルの駅を出発した。


目的地はプリーだ。


プリーは聖なる河ガンガーの水が海へと還る場所。
ヒンドゥー「四大神領」のひとつ。
つまり、ヒンドゥー教徒が一生のうちに訪れるべき最も神聖な巡礼地、
神が住まう、インドに4つしかない神領のうちのひとつだ。
さらに、プリーはヒンドゥー教徒のみならず
バックパッカーにとっても聖地である。
ネパールのポカラ、タイのパンガンと並ぶアジア三大「沈没」地とも言われている。
多くのバックパッカー達が
ベンガル湾からの爽やかな海風
海に近い割りに乾燥した気候
手に入れやすいマリファナやオピウム
充実の安宿
なによりヒンドゥー教の聖地ゆえかインドの喧騒とは一線を画す静けさ
そんな噂と事実に魅せられ惹き寄せられ
巡礼者の如くその漁村を目指し
辿り着いて腰を下ろしたが最後、そのまま何日も、何ヶ月も「沈没」するのだという。


思えばインドでバックパッカーの「沈没」地と呼ばれる町は
魅力的な町ばかりであった。
ゴア然り
カニャークマリ然り
ハンピ然り
そして、ヴァラナシ然り。
「旅」と言えども移動せず
なにを観るわけでもなく
昨日と違う今日があるわけでもなく
ただただ、ひたすら「安く」、「長く」旅を続ける
一見無為に日々を過ごす「沈没」の是非を言い争うのは置いておいて
何ヶ月も、何年も、旅を続けるバックパッカーならではの嗅覚に引っかかる魅力
いや、魔力が
それらの町にはあるということだろう。


バックパッカーに対抗して
リュックサッカーを気取る俺は
その町に是が非でも行ってみたかった。


今回の旅程から
ゴアやハンピやエローラを外してでも行きたかった。
アーグラーのタージマハルを外してでも
プリーでの2泊を確保したかった。
ヴァラナシこそ今後の予定に入ってはいるが
初海外のナベタクや初インドのU君に
俺がお奨めできる町は
ゴアやハンピやエローラだと思う。
原爆ドーム厳島神社に負けず劣らず
タージマハルも観ておくべきだとも思う。


ただ、それでも俺のわがままで
プリーに行きたかった。
インドで最もアツい祭りホーリー
プリーで8年ぶりに味わいたかった。



そんなプリーに今向かっている。


我々が乗っている車両は2Sクラス。
エアコン無しの2等予約座席
クラスとしては下から2番目。


天井にぶら下げられた扇風機からの風が
窓から吹き込む風と相まって
車内は意外と快適だ。
床には相変わらず
ピーナッツの殻やキャンディの包み紙、ブドウの種などが散らばっている。
皆、ゴミを車内の床に捨てるのだ。
特にブドウの種なんてひどい。
ブドウの実を皮ごと口に含む。
ジューシーで甘酸っぱい実を味わう。
当然、皮と種は邪魔だ。
口から「プッ」と放射。
吐き出される先は列車内の床の上。
床板にはところどころ紫色の染みが出来ていた。


そんな散らばった種や紙などといったゴミを
一定時間ごとに竹ぼうきで掃除しに来る
足の無い少年や黒目の無いおじいちゃんがいる。
彼らは床を掃除することで
時に乗客からバクシーシ(喜捨)をもらう。
エコなんて怪しい言葉とは程遠い
確実である意味人間らしいサイクルがここにはある。
インド政府が否定するカースト制度というものが
いまこの国でどういう位置付けにあるのか
所詮旅行者である俺には理解する由も無かったが
それでも何らかの形でこの国を動かしている「力」を垣間見たような気もした。



散らかった床とは対照的に
窓の外にはオリッサの美しい自然が広がっていた。
風に揺れる青々とした木の葉が微弱に反射する光が
きらきらと輝いて映る。


水辺に身体を浸す水牛。
溜池のほとりに集まる水鳥。
水田のグリーン、ヤシの木のグリーン、そして山々との緑のグラデーション。


風吹き抜けるままに。


インドの車窓からの風景は
飽きることが無い。


ナベタクが食っていたサモーサーを分けてもらい
その恐ろしく具が少ない皮ばっかりのカリカリしたサモーサーをかじったり
夏休みの縁側の如く
肌を焦がす日差しと熱を奪う風とを同時に浴びながらうたた寝などをしているうちに
列車は徐々にスピードを落とし
我々は聖地に辿り着いた。


鼻をついたのは
砂の匂いだった。










つづく