最終章 HELLO,GOODBYE


インド最終日。
我々は最後の晩餐として
エアコンが効き
微妙なダンスミュージックが流れる
こじゃれたレストランにふらっと入った。


客は我々2人だけ。


俺はバターチキンを注文。
そしてM上と二人で
真昼間から
キングフィッシャー・ストロングを飲む。


このキングフィッシャー・ストロング。
アルコール度数が10度近くあるのではないかという
ストロングビールで
正直まずい。
安いウイスキーソーダ割りのような味だ。



しかし日本ではまずお目にかかれず
インドでも取り扱っている店は少ないので
あればひとまず頼んでしまう。


そしてまずくて残す。



食事を終え
メインバザールをぶらついたあとに宿に戻り
ごろごろしたり
荷物をまとめたりしているうちに
夜が来た。


出発の時だ。


みやげ物で膨らんだリュックを背負い
宿をあとにする。
同時にそれは
インドをあとにする時が来たことを意味していた。



メインバザールの入り口付近で適当に
リクシャーを捕まえる。


最後の料金交渉。


「コンノートプレイスのバス乗り場まで。
 20ルピーでどう?」


「オーケー。乗りな。」


男は無愛想に返事をした。
驚くほどあっけなかった。
先日同じような場所からメインバザールに戻ろうとした時
別のリクシャーワーラーは最初100ルピーもふっかけてきたのだ。
このリクシャーワーラーは一切ふっかけることなく
我々の提示した料金で頷いた。
それは初めての経験かも知れなかった。


我々が座席に座ったことを確認すると
男はすぐにリクシャーを走らせ出した。


騒がしいメインバザール近辺を抜け
リクシャーは大通りを軽快に走る。


乗ってから5分ほどして
リクシャーワーラーは
初めて口を開いた。


「ジャパニ、日本に帰るのか?」


空港へのシャトルバスの乗り場を
行き先に指定したことで状況は察しているようだ。


[あぁ、今日の夜の便だ。」


・・・・・


会話は続かない。
やたらと多弁なリクシャーワーラーが多い中
この男は割と無口なようだ。


夜のデリーにリクシャーのエンジン音が響く。


少ししてまた男はボソッと口にした。


「インドは・・・GOODだったか?」


ふと今回の短い旅が頭をよぎる。


―デリーでマリファナをキメたインド人達に囲まれた。
ブッダガヤでラナにいろいろたかられた。
―子供達はやはりどこの国でも無邪気だった。
―列車で罰金をとられた。
―ヴァラナシでバッタ部屋にぶち込まれた。
―右手が動かなくなった。
―モヌーと再会した。
―ガンジス河にまたも深く惹かれた。
―人が燃え煙が昇っていた。
―何度突然腕を掴まれただろう。
―何度、足を掴まれただろう。


4年ぶりのインドは少しも変わることなく
インドであった。
汚く、暑く、危険で
物乞いと牛に溢れ
ボラレ、騙され、体調を崩した。


相も変わらずそこら中に
生と死
聖と俗
富と貧が無造作に転がっていた。


そんなインドと2度目のサヨナラだ。



・・・少し考えて
しかし、自信を持って応えた。


「あぁ、GOODだったよ。」


「そうか。それなら良かった。」


男は振り向いて
少しだけ笑った。


そしてまた口をつぐむ。


3人とも無言のまま。
リクシャーのエンジン音、車のクラクション、人々のざわめき
デリーという街のうごめきだけが
耳に入り
最後の時間が
ゆっくり、ゆっくりと流れていっているようであった。



程なく我々を乗せたリクシャーはバス乗り場に到着した。


最初から20ルピーで来れるとは思っていなかった。
20ルピーという料金は
現地民価格よりは高いものの
おそらく旅行者向けの「適正価格」。
すなわちリクシャーワーラーにとって「最低」の儲けだ。


おかしな話だが
インドで「適正価格」でリクシャーに乗ることは難しい。
だいたいどのリクシャーワーラーも降りるときになって
「お釣りが無いから50ルピーでOKだろ?」
とか
「意外と遠かったからもう10ルピーだ。」
とか
ひどいときには
「20ルピーじゃない20ドルだ!」
とかダメ元なのかお決まりなのか
たいがい追加料金やチップを要求してくる。
都市部や観光地では特にそうだ。


このリクシャーワーラーも
乗るときには驚くほどあっさりと
20ルピーで交渉がまとまった。
きっとまたチップなりなんなり要求してくるんだろう。


そう思いながら20ルピーを支払う。


だが金を受け取った男は意外にも
「・・・サンキュー。」
と一言言っただけで
すぐにリクシャーを元来た方向に向き直らさせた。


ボラれなかった。


最後のリクシャーでボラれなかった。
最初に交渉した料金で
ちゃんと目的地まで連れて行ってくれる。
そんな当たり前のことがこのデリーでは
ちょっとした奇跡。


エンジンをかけなおし
また走り出す間際
無口なリクシャーワーラーは
我々の方を振り返り
右手を挙げて叫んだ。


「グッドラック!!」


最後の最後で
こんなに清清しくリクシャーに乗れたことだけでも
この旅はGOODだったのかも知れない。


「グッドラック!お前もな!」



走り去ったリクシャーは次第に
夜の闇に溶け込んでいった。



デリーの夜が
少しだけ透き通って見えた。








NAFのパウのインド旅行記【第2部】 ― 完 ―