第24章 CASTE


しばらくはモヌーの家で
思い出話やこの4年間のお互いの暮らしについて語り合った。


1年程前には日本の青年バックパッカーが足繁くモヌーの家に通い
モヌーにタブラを教わっていたらしい。
そのときモヌーが代わりに教わったのが日本の歌、BIGINの『島人ぬ宝』だそうだ。
そういえばホテルでM上がわざとらしく吹いていた口笛の曲も『島人ぬ宝』。
普段、BIGINの『ビ』の字も出さないM上が
ふいに『島人ぬ宝』を奏していたことに若干の違和感があったが
なるほど、そういうことだったのか。


妙にインド音階で展開するモヌーの『島人ぬ宝』の音程を
M上と二人で矯正しながら談笑は続く。


4年前、学校と商売とその仕入れとタブラの練習で
1日3時間しか睡眠時間がないと言っていたモヌーの勤労ぶりは健在で
今日も口癖のように
「お金は全てじゃない。ただとても大切なものだ。」
と言っている。
ブッダ・ガヤーでラナから買ったカルダモンを見せたときもそうだ。


「はぁ?!お前らこんなもんに100ルピーも払ったのか?!
 馬鹿か?!お前ら?!こんなものせいぜい20ルピーだ。
 もっとお金を大事にしろ!!セーブ!!セーブマニー!!」


そのカルダモンを使ってモヌーの母親にチャイを入れてもらう。
店で買って飲むのとは一味違うどこか暖かみのあるスパイシーなチャイを飲みながら
モヌーに「飯でも食いに行かないか」と提案してみた。


「それはできない。」


モヌーは続けて理由を説明する。


「俺はこう見えてもバラモンと呼ばれる高カーストなんだ。
 それが外でお前らと食事をしていると
 そこらへんの低カーストのガキだと思われてしまうだろ?
 それに低カーストの奴らが出入りするその辺の食堂で飯を食ってはいけないんだ。」


大真面目にカーストを語るモヌー。
そうか、ここはインドなのだ。
ここではそれが『普通』
『真理』ですらあるかもしれない。
とかく差別の象徴として語られることも多いカースト制度だが
一生を80年程度で考える我々日本人と
輪廻転生を繰り返し
前世の行いによって何度も新しい別のカースト、別の自分に生まれ変わる彼らインド人とは
そもそも比べることすらできないのかも知れない。


「うちで一緒に飯を食おう。」


どうやら明日モヌーのコンサートがあるらしく
そのときにご馳走してもらえることになった。
モヌーが学校に行く時間ということで
一旦別れを告げ
我々はガンガー傍のガート(沐浴場)に向かう。



ガンガーに沿って無数に広がるガートをうろうろしていると
相変わらず耳元をよぎるのは
ハシシ?マリファナ?シルク?マネーチェンジ?マッサージ?ボート?
の声。


・・・多少、慣れをかました2回目のヴァラナシだ。
ボートでも乗ってみようか・・・。


暇そうにしていたボート乗りに声をかける。


ヴァラナシのガートでボートに乗ると
50ルピーで何もない対岸まで連れて行かれ
「帰るためにはもう100ドル(約4000ルピー)だ!」
と吹っかけられるらしいが
このボート乗りの親父はなんとなく
信用できるような気がした。



インドで
しかも聖なる河のうえでボートに乗っているという感覚はなかなか不思議なものだった。


ボートからはマニカルニカ・ガートが見えた。
あそこでは今日も何十体もの死体が焼かれ
灰になり
聖なる河ガンガーへ流されているのだろう。


他のガートでは
一心に沐浴を続ける老人や
我々に手を振る上半身裸の
若者たちの姿、
大きなモーターボートに群がる欧米人観光客たちが見えた。



そのうちにボート漕ぎのオヤジが
熱心に語りだした。


「最近、外国人を騙してお金をむしりとる悪質なボート漕ぎが多くて困る!!」


確かにガイドブックによるとそのようだ。


「いいか?お前らも覚えとくといい。
 『ホンモノのボート漕ぎ』というのはこのルンギーという腰巻を履いているんだ!!
 俺のようにな。これが『ホンモノのボート漕ぎ』だ!!
 ジーンズとか履いているやつはクソだ!
 モーターボートに乗ってるやつなんてもっとクソだ!!」


重いオウルで古びたボートを漕いでいるせいか
それともただ興奮しているせいか
顔を真っ赤にしたオヤジからは
自分の仕事に対するプライドと
なにやら威厳のようなものまで感じられた。


ボートから降り
またその辺をぶらぶらしているうちに
陽も落ちかけてきたので
一旦宿に戻ることにした。


途中、牛のしっぽを引っ張って遊んでいる
みすぼらしい格好をした子供たちを見た。
ヒンドゥー教で聖なる動物とされる牛も
子供たちにとっては関係ないのだろう。
彼らは大笑いしながら『牛』で遊んでいた。


地面に座って
わらを売っている少年を見た。
明日もここでわらを売るのだろう。


荷車を押しごみ拾いをする
汚れたサリーを着た老婆を見た。
明日もごみを拾うのだろう。


目の前に立ちふさがり
口元に手をあて
バクシーシ(喜捨)を要求する
幼子を抱いた物乞いの女性に出会った。


空き缶を目の前に置き
歌を歌う盲目の老人に出会った。


トイレの番で生まれれば
一生トイレの番として暮らし
日に数百円の金を稼ぐ。
洗濯のカーストで生まれたら
一生洗濯。
ごみ拾いで生まれたら
生ごみ拾いだ。


ただそんな彼ら、彼女らの目には確かに光が宿っていた。
誇りをもって今の仕事、今の役割
そう、神様から与えられた今の自分を
全うしているかのように見えた。
一日一日を真剣に一生懸命
生きているかのように見えた



全ては次の輪廻へ続くのだろうか。









つづく