ガイドブックの奨め

ガイドブックは素敵だ。
旅行に行くならぜひ持って行きたい。


ガイドブックには大概のことが載っている。
安い宿、うまい飯、荘厳な遺跡
町の地図、路線図、移動時間、必要経費
温度、神々、かかりやすい疫病、かかりやすい詐欺
相場、みやげ物、文化・宗教の簡易解説、タブー。


もちろんガイドブックに載っていることが
全てベスト、もしくはベターとは限らない。


実際
俺が一番うまいと感じたのは
チェンナイ駅前の地元民でごった返す安食堂だったし
インドールもそれなりに素敵だった。
アグラーまで行ってタージマハルは見なかったし(これはちょっと後悔)
宿だってガイドブックに載って無くても心地よい場所はあった。
インドに限れば相場なんて無いようなもの。
病気なんてガイドブックどおり気をつけていてもかかるものはかかる。
列車は時間どおり来ねぇ。
時間どおり着かねぇ。
デラックスバスは地獄だ。


では、ガイドブックを2000円も払って買い
リュックを重くする意味はどこにあるのだろうか。


まずそれは出発前。
ガイドブックを見て
ルートを想定し
ここに行きたい、これは見たい、こんなこと実際無いよな?なんて
酒のつまみにする。
夜寝る前にベッドの上で
想像を膨らませるだけでも素敵だ。


旅が終わった後にも酒のつまみになる。
旅を共にした友人と
ガイドブックを見て旅のワンシーンを思い出す。
―そういえばこの町でこんなことがあったなぁ―
―あいつのこと覚えてる?―
―これ全然情報違うじゃねぇかよ!―
―ここ見逃したーー!!―


別の友人に
ガイドブックに載っていないところに行ったことを
さもすごいことをしたかのように自慢するのもいい。
もちろんガイドブックを友人に読ませながらだ。
―いやぁそのガイドブックには載ってないんだけどさぁ
○○って町結構居心地いいんだよねぇ。ガイドブックには載ってないんだけどね。
あの時食ったチキンティカうまかったなぁ。あ、その店ガイドブックには載ってないんだけどね。
ガイドブックには載ってないんだけど地元民が良い宿教えてくれてさぁ。
やっぱりガイドブックには載ってないとこの方が逆にさぁ・・・・―


また、他人と違う旅、自分だけの経験(それに固執するのは馬鹿らしく思えることもあるが
やはりそれでもこだわりたい)
なんてのも
ガイドブックを持っているからこそ
つまりガイドブックという基準があるからこそ
それをはずすことでできる贅沢である。
何も持たずに行動して
後で調べたら
全てガイドブック通りの行動だった
なんてことになると目も当てられない。


インド到着時のM上談。
「いやぁ〜やっぱ何から何までガイドブックどおりなんて
 つまんないよな?!
 かといっておかしな宿に泊まると危ねぇし
 やっぱり優先度が低いのは飯だな!!
 飯なんてどこで食ってもたいして変わんないっしょ!!」


俺は全く逆の意見(いや飯のほうが重要でしょ!?)だったのだが
俺は初海外。
M上は「旅行慣れ」。
ここは何も言わずM上の提案に従ってみる事にした。


この発言からもM上の「住」に対する意識の高さが垣間見える。
さすが現在不動産関係勤務だ(個人情報漏洩)。


さておきこのようにガイドブックに頼る部分と
頼らない部分の選択だけでも楽しめる。


旅行の最中にも
写真付きのガイドブックは現地の子供達
いやむしろ大人にも大人気だ。
「お、この店知ってるぞ!!」
「聖地はこんな感じなのかーー。」
「俺はこの町出身なんだ!!」
「こんなとこよりもっと良いとこを教えてやる!!」
など、話が弾むこと請け合いだ。


旅行中、連れとケンカしたら
ガイドブックを投げつけることもできる。
分厚いインドのガイドブックは
破壊力抜群だ。



こんなに便利なものは日常生活の中で滅多に見つからない。


本末転倒のような気もするが
旅の為のガイドブックなだけではなく
やはりガイドブックを楽しむ為の旅であると言う部分も少なからず
ある。


旅好きなのではなく
ガイドブック好きなのかも知れない。